「顔なき世界」が支配する「スターウォーズ」の帝国 「顔」を失うことは「生の主導権」を奪われること

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この歴史的過程の中でヨーロッパからの植民者によって原住民は大量に殺され、日本でも約260年続いてきた江戸幕府は滅亡します。さらに太平洋戦争でアメリカ合衆国は原子爆弾をはじめ、巨大な軍事力によって日本を完膚なきまでに破壊したのです。

つまり「精神と物質が合一である世界」(前近代)より「精神と物質が切り離された世界」(近代)のほうが強いのだという論理が、19世紀から20世紀前半を支配していた帝国主義の考え方では一般的でした。思想家の佐伯啓思は、近代の自然への眼差しを以下のように述べています。

 近代の自然科学は、イデアを排して、自然を、人間が観察し分析し研究できる対象として「かり立て」、そのようなものとして、こちら側に「立てた」。自然はもはや、われわれが、五感で感じ、詩的想像力の源泉となり、その多様な意味を経験によって捉え、肉眼の観察で知りうるような散文的対象ではなくなる。またあらゆる生命活動がそこで乱舞する舞台でもなく、生物的生命が育まれる生きた世界でもなく、時間の動きの中で万物が生々流転する舞台でもなくなる。それはいわば死んだ、それゆえに、固定化され、対象化されて客観的に扱いうる物質相の世界へと捉え直されたのである。
(佐伯啓思『近代の虚妄 現代文明論序説』東洋経済新報社、315頁)

近代の果ての「ワーケーション」

僕のいう「精神と物質が合一である世界」とは、佐伯の言うように「自然を五感で感じ、詩的想像力の源泉となり、多様な意味を経験によって捉え、肉眼の観察で知りうる」ような世界のことだといえます。

しかし近代になり、自然は「対象化されて客観的に扱いうる物質相の世界へと捉え直され」ていきます。現代でもなお、この近代科学の考え方が貫かれています。

僕たちもできるだけハイスペックなPCを買い求め、より速く、より大きなデータを扱うことができ、サクサク作業が進むことを求めています。この延長線上にはテクノロジーに主導権を完全に奪われ、世界中どこに行っても普段と同じような仕事ができてしまうため、ワーケーションなどといって休暇と仕事の区別もつかなくなっている世界があります。

もちろん、テクノロジーを道具として用いて休暇と仕事を自分で切り分けつつ、マイペースに生活を送れているのならまったく問題はないのですが。

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