「顔なき世界」が支配する「スターウォーズ」の帝国 「顔」を失うことは「生の主導権」を奪われること

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すさまじいスピードで発展するテクノロジーは、僕たちの無限の欲望を無条件で肯定してくれます。そのテクノロジーに頼り切り、その速さ、強さを求めていると、僕たちはより合理的に、より効率的に生きていくことを求めるようになります。

すると僕たちは着実に「顔」を失っていきます。「顔」を失うとは、「生の主導権」をテクノロジーに奪われるとも言えるでしょう。それは本作における白いヘルメットを被った、数多いる歩兵と同様の状態です。

また、「顔」を失ったほうがこの競争社会で勝ち上がることは簡単だ、「どうせ世界は弱肉強食だぜ」と弱者を食い物に社会的成功を得ている人間は、黒いヘルメットを被ったダースベイダーなのだといえます。

「迷惑をかけるな」「わきまえろ」の果てに

しかしみなが「顔」をなくし、弱肉強食の世界を押し進めてしまうと「誰もいなくなってしま」います。福祉社会学者の竹端寛はそんな状況を以下のように描いています。

 「迷惑をかけるな」「わきまえろ」。こういった命令形は、他者や世間による、自分自身の可能性へのリミッターとなっています。自分がしてみたいこと、興味のあること、気になっていることも、「迷惑をかけるな」「わきまえろ」といった他者比較や他者評価の基準で自己点検し、その範囲内でやっても許されると確信が持てたらする。そうでなければ諦める。
 このように、自分自身の可能性にリミッターをかけていくと、どうなるでしょうか。自分自身が他者の顔色をうかがい、理不尽にも耐え、言いたいことも言えず、やりたいこともやらず、他者の意向を優先し、我慢し、それでも地道にコツコツ努力している。(中略)
 自分が我慢しているのだから、他の人も同じように我慢すべきだ。それは、次のようにも言い換えられそうです。
 自分の尊厳が護られていないのだから、他者の尊厳を大切にできない。
 自分の権利を大切にできないのだから、他者の権利に想像が及ばない。
(竹端寛『ケアしケアされ、生きていく』筑摩書房、2023年、98-99頁)

「誰もいなくなってしまう」とは、物理的に全人類が消滅するという意味ではありません。「顔」のある人間がどこにもいなくなってしまうという意味です。

「顔」のある人間は、竹端の言葉を借りるならば、「自分自身の可能性にリミッター」をかけない人間です。そして僕たちが目指すケアフルな社会とは、「自分自身の可能性にリミッター」もかけないし、「他者の可能性にもリミッター」をかけない社会であり、「自分の尊厳を護りつつ、他者の尊厳を大切にする」「自分の権利を大切にすることで、他者の権利に想像を巡らせる」社会です。それが「顔」のある社会です。

ではどうすれば、自分たちの「顔」を取り戻すことができるのか。話がだいぶ遠回りしましたが、僕は本作をそういう主題に貫かれた映画なのだと理解しています。

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