SONY成功の裏にあったアメリカでのイメージ戦略 日本からの輸入品ではないと思わせる工夫とは
ニュージャージーにテターボロという民間機用の飛行場があって、そこからアメリカ中へ毎週のように飛んでいました。アメリカではそれが当たり前で、プライベートジェットの離着陸やメンテナンスをする飛行場が決まっていました。
ビジネスジェットだと、アメリカ大陸を無着陸で横断できず、途中の小さい都市に降りて燃料を給油しました。普通なかなか行く機会がない所に降りて、1〜2時間過ごすのです。あるとき、飛行場でかわいいお嬢さんがワインを持って来たので、飲ませてもらえるのかなと思ったら、そのワインはパイロットに渡していました。パイロットがどこの飛行場に寄るのか決めていたので、自分の所の飛行場に降りて燃料を補給してほしいという狙いがあったのです。
太平洋戦争のときに特攻隊の飛行訓練をしていた私が、ビジネスジェットでアメリカ中を飛び回るなんて、若いときは想像すらできないことでした。戦時中の私なら自分で操縦して、アメリカを爆撃したかったと考えたかもしれません。実際はけた外れに日本よりアメリカにパワーがあったし、やはり大和魂だけで勝てないのは明白な事実でした。
ソニー時代の私は、ビジネスでアメリカに勝ったと思って、溜飲を下げたという感じもあったかもしれません。空を飛ぶのが好きな私ですが、なぜだかビジネスジェットからは外の景色をあまり見ませんでした。
アメリカでは社会貢献活動も大切
アメリカではパーティーが結構多く、夫婦でよく行きました。夫婦というのが非常に大事で、そうでないと対等に付き合ってくれません。あまり好きではなかったですが、1つの義務だと思いましたし、勉強にもなりました。
今では日本でも当たり前かもしれませんが、アメリカ社会では、企業のトップというのは、会社の仕事をするだけではダメで、何らかの社会貢献活動をしていないと一人前に扱ってもらえません。チャリティーやボランティアを、土曜や日曜にみんなやっています。だから私も、コーネル大学のリージョンコミュニティーのメンバーになったり、リンカーンセンターのニューヨークシティオペラのボード(委員)をやったりしました。