SONY成功の裏にあったアメリカでのイメージ戦略 日本からの輸入品ではないと思わせる工夫とは
ソニー創業者の1人・盛田昭夫を長兄とする、盛田きょうだいの三男として生まれた盛田正明氏。
1951年に東京工業大学を卒業すると、東京通信工業(現在のソニー)に入社。世界のソニーの大黒柱として活躍しました。リタイア後もテニス業界をバックアップし続け、錦織圭をはじめ多くのジュニア選手の育成に尽力し続けています。
そんな盛田氏は、リーダーシップをどうやって培い、実際に、どのように発揮してきたのか。著書『人の力を活かすリーダーシップ:ソニー躍進を支えた激動の47年 錦織圭を育てた充実のリタイア後』より一部抜粋・再構成してお届けします。
ソニーが成功したアメリカでのイメージ戦略
1960年代当時、日本から海外へ進出していた多くは、商社でした。日本でものを作って、海外へ送って、現地で売っていたのです。
ソニーでは、アメリカの会社はアメリカ人を中心に作らないといけない、ということを徹底していました。ソニー・アメリカを立ち上げた昭夫は、アメリカで売るものは現地で作ってアメリカ製だと言わないと、アメリカ人に受け入れてもらえないと思ったんでしょう。私も同じ意見でした。ソニーの商品は、日本からの輸入品ではないとアメリカ人に思ってもらうことは大事だと感じていました。
昭夫の戦略がうまくいって、アメリカ人たちは、ソニーを日本の会社だとは思っていなくて、自分たちアメリカの会社というようなイメージを持っていました。
それに、ソニー・アメリカの従業員は、約7割がアメリカ人でした。普通、日本の商社をはじめ日本企業のアメリカ支社だと7割が日本人という形でしたが、私がソニー・アメリカの会長として行ったときは、秘書を含めて周りがみんなアメリカ人でした。
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