SONY成功の裏にあったアメリカでのイメージ戦略 日本からの輸入品ではないと思わせる工夫とは
さらに、昭夫は、アメリカ政府ともうまくやらないと、仕事がうまくいかないと考えました。ある非常に優れた日系2世の方を通じて、ワシントンのいろんな人を紹介してもらったそうです。昭夫はワシントンへ飛んで、アメリカの政府高官と話して親しくなり、ソニーは日本の企業っぽくないというイメージが相当あったことも手伝って、うまく事を進められたようです。アメリカ政府は、ソニー・アメリカとその商品に、非常に好意的でした。この地ならしができたことは、ソニーがアメリカで成功したあまり知られていない要因の1つだと思います。
当時のアメリカでは、ソニーのブランドが非常に強かったです。われわれは、自分が若い頃のメイドインジャパンの良くないイメージをひっくり返すことができたわけですが、ソニーは日本の企業ではないと思っている人もいました。
困ったことには、サンディエゴ工場で作ったものより、日本製がいいとアメリカで言われる現象も起こりました。要するに、同じものでも日本の工場で日本人が作った製品のほうが、クオリティーが高いと。アメリカに来て作ってくれるのはありがたいが、本当に良い商品ができるのか?と疑問視する人もいました。私は、「そうじゃないです。しっかり品質検査をしますし、製品が悪かったら落としますから」と言いました。アメリカ人もちゃんとやれば、よく働いてくれますし、いいものを作ってくれました。
ビジネスジェットでアメリカ中を飛び回る
ニュージャージーに、ソニー・アメリカの製造のヘッドクオーター(本社)がありました。また、マンハッタンには、レコード会社や映画会社をソニーが買収して作った新しい会社のオフィスがありました。
私はあまりマンハッタンには行くことはなく、アメリカ中を飛び回っていました。
プライベートジェットを5機保有していました。贅沢だと思われるかもしれませんが、アメリカでは仕事の効率を考えたらプライベートジェットの選択肢はベストと言えると思います。
フロリダのフォートローダーデールという所にソニーの工場があったのですが、いつも日帰りしました。朝早起きして、ファルコンジェット(ビジネスジェット機)に乗って2時間半でフロリダまで行けます。現地に10時ぐらいに入って1日仕事をして、みんなと晩ご飯を食べて、フロリダを21時ぐらいに出ると、24時には家に帰れます。
一番小さいファルコンワンハンドレッドは4人乗りで、私がよく使っていました。ダッソーミラージュというフランスの戦闘機がありますが、そのダッソーとパンナムとのジョイントベンチャーで作った会社のジェット機がファルコンでした。