先日は、こんなことがありました。駅で電車に乗り遅れて、困っている男性を見かけたのです。
「その方が、お母さんと電話で話しているのが聞こえてきて。ある駅に行きたいんだけれど、そこに行くには直通電車を逃すと、別の駅で乗り換えないと行けない。でもその乗り換えは、毎回ホームが変わるから、知的障害の人にとってはすごいバリアなんです。それで困っているんだな、と思って。
周りの人は『コワい、近寄らんとこ』という感じなんですけれど、弟も結構、外で慣れないことがあると大声を出しちゃったりするのを私は見ていたので、『○○駅に行きたいんですか?』って声をかけて、一緒にその駅まで行きました。そのとき『私、こういうことをするために今までの人生を送ってきたのかも』って思ったんです」
「お前が助けろよ、に頼らない社会」へ
これは、いま彼女が就いている仕事にもつながる話であると同時に、冒頭の話にもかかわってくる話でした。
「だからこそ、もともとのところで排除してはいけないと思うんです。『障害がある人は子どもを産んではいけない』みたいなことを言っていると、あんまり考えたくないですけれど、虐殺とかに行き着くわけじゃないですか。恐ろしいけれど、現実離れした話ではないと思います。実際、過去には『優生保護法』なんてものがあったわけですから。
『ここから先はダメ』みたいなことは誰にも言えない、というか、言うべきじゃ絶対にない。そうやって線を引いたときに、あなたがその当事者になるかもしれない。その線は、自分に迫ってくる、って思うんです」
彼女はこのことを私に伝えたくて、連絡をくれたのでしょう。
「『じゃあお前が助けてやれよ、俺は面倒みないからな』というのも違くて、『お前が助けろよ、に頼らない社会』になっていかないといけない。結局、みんなが見向きもしないから『お前が助けろよ』になるのであって、みんながもうちょっとずつ、その人に対してコミットできるような姿勢であれば。もうちょっとみんなで助け合えたら、うちの母親みたいな親も、もっと助かったと思うんですよね。
行政のサポートを拡充することもだいじですし、『一人ひとりの意識が変わる』というのも、両輪で必要ですよね。制度が整いすぎると、今度はみんな『制度があるからいいじゃん』になってしまうので」
取材が終わる頃、暑さで具合が悪くなってしまった柚実さん。病院に向かう途中、「大塚さんみたいなお母さんがいたらよかった」などとしみじみ言われ、気恥ずかしいような、せつないような。うちの息子が聞いたら失笑すること間違いなしですが、柚実さんのお母さんがもしできるならしてあげたかったであろうことを、想像するのでした。
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