祖父のことは早々に見切った柚実さんですが、一方で母親と縁を切ることについては「何年も迷った」といいます。母親は祖父にコントロールされていたため、祖父と絶縁するには母親とも連絡を絶つ必要があったのですが、「母親はたぶん、なぜ娘に冷たくされるのかわからないだろう」と思うと、なかなか踏ん切れなかったそう。
でも結局のところ、母親の無理解は、柚実さんのなかで問題にはならなかったようです。
母との関係は「離れている時間が解決してくれた」
「私からは『もう会わないことにする。会わなくても、私は娘だからね』みたいなメッセージを母に送って、終わりにしようと思ったんです。でも、その後も母からはふつうに連絡がくるんですよね。『もう連絡をしてはいけない』とは別に思っていないみたいで。
1年くらい前、母から職場に電話がかかってきちゃったことがあって、『私はいません』と対応してもらったんですけれど。そのとき『この人(母)のこと私はもう、どうでもいいと思っているんだな』って気づいたんです。『そうか、私はもうこの人のこと吹っ切れたんだな』って」
母親はおそらく今も、柚実さんと絶縁したとは思っていないのでしょう。でも、彼女のなかではすでに、母親との関係には区切りがついているのです。もう背後にいた祖父は他界し、気にする必要がなくなったのですが、いまは「これが母と私の適切な距離。離れている時間が解決してくれた」と感じています。
「今後もし母のほうがにっちもさっちもいかなくなって、また私を頼ってくる状況があったとしても、私個人で抱え込むつもりはまったくなくて、行政の支援につなげるって決めているんです。血がつながっているからどうとかではなく、ただこの社会に生きるひとりの人間として(支援が必要な人には)そうしようって。今はもう、そういう心境です」
最近、柚実さんは気づいたことがあるといいます。
「私が小さかったときは、母もきっと『親として接してくれた頃』というのがあったのかなって思うんです。私と母親の知能がまだ逆転していなかった頃、と言うとちょっと切ないんですけれど。私が今こんな心境になれたのは、人生の本当に最初の親子の触れ合いみたいなところでは、母がうまいことやってくれたからかなって」
こういった穏やかな思いは「母と距離を置いたからこそ生まれた」と、柚実さん。「苦労はしたけれど、得るものも多い環境だった」と、いまは感じています。
「大学のとき、私もADHD(注意欠陥・多動性障害)だとわかったことも大きかったと思います。『自分も困りごとを抱えている一人なんだ』って気づけました。高校や大学の頃は、私も祖父の影響で能力主義的な価値観が強かったんですけれど、今はこれが『自分の実力だ』というふうには思わないので。
私が今、こんなふうに話せているのは『幸運が重なったからだ』ってすごく思います。いい出会いに恵まれ、いろんな人に支えてもらえたので。だから誰にでもこういうふうにできるよ、とは言いたくなくて」
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