しかし、時代がインターネット化、サービス化を遂げ、車も洗濯機もエアコンもあるという、フラットなヨコの社会の時代になりました。この時代では「もっとこうすれば面白いのでは?」という発想が求められます。
アントレプレナーシップが日本を救う
GAFAが日本では生まれなかったのは、アントレプレナーシップの欠如だと考えています。
過去40年間のGDP推移をみると、日本は生産年齢人口の伸びが止まった1995年を起点に別の国かと思うほど落ち込んでしまいました。この年は、Windows95が発売、つまりインターネット元年でもあります。
インターネットは、人々の思いを形にできる力を持つものです。
「ハーバード中の女の子と知り合いになりたい」と言ったマーク・ザッカーバーグは、Facebookを作りました。「世界中の情報を整理し尽くしたい」と言ったラリー・ペイジがGoogleを、「ウォルマートは遠すぎるからウチに配達してくれ」と言ったジェフ・ベゾスがAmazonを作りました。
つまり、アントレプレナーシップを持つ個人が、自分の思いを形にしてゆき、それを誰も否定しなかったのです。ところが日本は、個人の欲望ではなく「集団としてこうあるべき」という思考にはまり、個人の夢は、「そんなバカなことできるわけがないだろう」と潰してしまう。
アントレプレナーシップを持って、インターネットをもっと自由に使い、失敗を恐れずチャレンジしたかどうかで、日米の差が生まれたのです。
個人が夢を形にすること、その夢を笑わない場所を作る必要があります。その思いから、2021年4月に武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(EMC)を開設しました。
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