親のそばにいることは美徳ではない
「いつも気分次第で怒って、睡眠薬を飲んでは眠り続ける。滅多に心底笑うことはなく、褒め言葉も口にしない」
拙著『母を捨てるということ』で、亡くなった母のことをこんなふうに描写しています。詳しくはその本に書いてありますが、私は母との関係を軸に自分の人生を整理しながら生きてきました。
中学生の頃、神様にたったひとつだけ望みをかなえてもらえるとしたらという問いかけに、「心から安心できる場所がひとつ欲しい」と迷いなく答えていました。当時は、よっぽど苦しかったんでしょうね。今なら、書籍『親といるとなぜか苦しい』に書かれているところの「精神的に未熟な親」の姿を見るのがいやだったのだとわかります。自己肯定感も低い子どもでした。
『親といるとなぜか苦しい』には、精神的に未熟な親の対処法として「堂々と距離を置いていい」とありますが私の場合、両親が生きている間は難しかった。自責の念に駆られるから、距離を置くことに葛藤が生じるんですよね。親との関係がいびつだと気づいた時点でもっと早く距離を置くことができていればと思いますが、昔に戻っても同じことをするでしょう。親のそばにいることが美徳だと思っていたから。でもそばにいて、親を変えようと思うと自分の苦しい時間が長く続くだけです。人を変えることはできませんから。
離れたときに気づいたのですが、そばにいる間はずっとねばっこい蜘蛛の糸にからめ取られているような感覚でした。親が亡くなり、この糸がなくなって軽くなったんですよ。今は余生のような気持ちで、普通に生きていけることが幸せ。ご飯をおいしくいただけて、眠いと思ったら寝て、朝明るくなると目が覚める。夫がいて、犬がいて、天気がいいなと空を見上げる1日1日が幸せ。「それ以外に何かいる?」という感覚です。
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