散歩に限らず、海舟は周囲の助言を聞いてすぐ実行に移す人物でした。例えば、将軍・徳川家茂の海路での上洛にあたり、責任者を任せられた海舟は、不眠不休で指揮をとり続け、将軍一行を大坂まで無事に送り届けるという任務を全うしましたが、そのときの対応も長崎で見聞きした話をもとにしたものでした。海舟は師に恵まれただけではなく、熱心に助言を聞いて行動したからこそ、数々の成果を残すことができたのです。
英語学習も同様です。いくらすばらしい教師のもとで英語を学んだとしても、学びっぱなしではいけません。海舟のように、学んだことを実行に移して初めて英語力が向上するのです。
讃美歌の替え歌、勝海舟がはじめました
卒業式の合唱曲や閉店時のBGMとして知られる『蛍の光』。元々は讃美歌であることはご存じでしょうか。そのほかにも、童謡『むすんでひらいて』やヨドバシカメラのCMソングなど、今や讃美歌をモチーフに作られた歌は日本中に溢れています。
そんな日本における讃美歌の替え歌ブームの火付け役となったのが、海舟でした。海舟は、当時流布していたオランダ語の讃美歌『ローフ・デン・ヘール』から、以下の『なにすとて、やつれし君ぞ』の詩を生み出したと伝わっています。以下はいくつかの詩篇の要約ないし翻案ですので、讃美歌のどの部分に対応しているかは不明とされています。
哀れその、思ひたはみて、
いたづらに、我が世を経めや、
ああ私はどうして、心くじけて、
無為に、日々を過ごしてしまったのだろうか、
三男・梶梅太郎の妻、クララ・ホイットニーの日記によると、海舟は自分の屋敷に教会を持っており、いずれクリスチャンになるだろうという噂が流れていたそうです。キリスト教が禁教とされる当時の日本において、海舟は翻案にして原詩を特定しづらくしながらも、『なにすとて、やつれし君ぞ』の詩を通じて密かに信仰を告白していたのかもしれません。
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