そうした作曲科の狙いに応えるため、3年間を音楽の勉強に費やした内田さんは、なんとか受かるか受からないかのボーダーラインまでたどり着くことができました。試験を終えた内田さんは、実技試験で15位以内のボーダーラインを突破する成績だったそうです。しかし、2次試験4回目の初見演奏(初めて見る楽譜を楽器で演奏する試験)の失敗と、筆記試験がうまくいかず、不合格になってしまいました。
「藝大は学部学科によってボーダーがまったく違います。3科目で8割を超えることを必要とする学部学科もありますが、作曲科は国語と英語を5〜6割超えれば、筆記に関しては大丈夫かなという感じでした。国語は現代文が得意だったので7割ほど取れたのですが、英語の勉強をまったくしていなかったので、50/200点ほどしか取れず、それで落ちてしまいました」
努力の方向音痴だった浪人時代
こうして内田さんは浪人に突入します。浪人を決断した理由を聞いてみると、「後悔を抱えて生きたくなかった」からだそうです。
「日本の芸術の大学でトップの大学には、極めてレベルが高い人がいる可能性もあります。レベルが高い環境で勉強することは魅力的ですし、自分の人生の中ですごく有意義だと思ったので、諦めたくなかったんです」
こうして1浪のときも研鑽を積み、多くの時間を実技の鍛錬に費やした内田さんは、4回の2次試験を好成績で突破し、前年度に失敗した初見演奏もこなして、藝大の最寄りの上野駅まで合格発表を見に行きました。しかしこの年も、受験番号は合格掲示板にありませんでした。
落ちた理由を彼は今、こう分析します。
「大きな理由としては、受験の点につながらない英語の勉強ばかりしていたからだと思っています。発音記号や音の変化のルール(例:”Water”のように、tが母音に挟まれている場合、dに近い音になる)といった、音にかかわることは面白いと思ったものの、受験に必要な英単語の勉強などをほとんどしていませんでした。
なので、この年もセンター試験で50/200点ほどの点数しか取ることができませんでした。受験という点で考えると、努力の方向音痴だったと思います。ただ、実技の勉強はかなり根詰めてしていたこともあって、落ちたことがあまりにもショックで、半年くらい作曲のレッスンをやめて放浪していました」
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