「友だちと喧嘩になり、保育士に怒られる経験がトラウマになってしまい、保育園を辞めました。小学校に行く年齢になるまでは主に家で過ごしていたのですが、両親に校長先生や教育委員会の人と話をしてもらって、学校に行かないことに決めました。当時よく一緒に遊んでいた子が学校に通わずに家庭で学習をしていまして、その子がやっている『ホームスクーラー』という生き方をしようと思ったためです」
小学校5年生くらいからは趣味程度にヴァイオリンを習ったり、補習的に学習塾に通うようになったものの、それまではひたすらテレビゲームをしたり、パソコンをいじったりしていたそうです。
「『ファイナルファンタジー』や『クロノ・トリガー』といった名作ゲームをやっていました。パソコンに関しても、『Microsoft Windows 98』の時代からずっとやっていて、面白系のフラッシュ動画を見たり、『ニコニコ動画』で『MAD動画』と呼ばれる既存の動画や楽曲をつなぎ合わせて作った動画作品などを見たりしていました」
内田さんの作曲家としての原点は幼少期から思春期にかけて、王道的な名作から、インターネットのアングラ文化まで何でも興味を持って接し、吸収したことがあるようです。彼はこれらの作品で使われる”音楽”の1つひとつに感銘を受けました。
「例えば、『マクドナルド』のキャラクターが出るCMを、音楽に合わせて編集した動画があるのですが、普通の人はその動画を笑うだけで終わります。でも、自分はそれを聞いて、音楽的に面白いなと思っていました」
高校受験が近づき、悶々とした日々を送る
こうして無意識に音楽の"勉強”をしていた内田さんですが、高校受験を控えた年齢が近づいてくると、悶々とした日々を過ごすようになります。
「小学校・中学校の9年間で今の人生の土壌を作れたと思っているので後悔はしていませんが、勉強やスポーツなどの、目に見えて世間を納得させられる実績は何も積み上げられてないと思ったんです。だから、高校ではある程度しっかりと勉強をして、大学受験ではいちばんを目指そうと思うようになりました」
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