夏目漱石「こころ」実は恋愛描写は少女漫画のよう 「私」がキュンときて、恋に落ちる理由とは?

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だが「私」は徐々に、その花を活けたのは、下宿に住んでいるお嬢さんであることを理解する。そしてお嬢さんの奏でる琴の音を聴くのが、日課になっていく。そのうちわかってきた事実は──その琴の演奏も、活け花も、たいして上手ではないのだった!

私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、その琴の音を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解らないのです。けれども余り込み入った手を弾かないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨い方ではなかったのです。
それでも臆面なく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方(いけかた)はいつ見ても同じ事でした。それから花瓶もついぞ変った例がありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向肉声を聞かせないのです。唄わないのではありませんが、まるで内所話でもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱られると全く出なくなるのです。
私は喜んでこの下手な活花を眺めては、まずそうな琴の音に耳を傾けました。
(『こころ』)

この、「下宿先のお嬢さんに最初は身構えるけれど、だんだん聴こえてくる琴の音がたいして上手じゃなかったり、活けてくれる花がけっこう微妙なところ(けどちゃんと頻繁に花は変えてくれる)にキュンときて、恋に落ちる」描写。本当にロマンチックで、それでいて心に残る、とてもいい名場面ではないだろうか。

琴や活け花は、明治の女性にとっては必修科目のようなものだったのだろう。だがそれらが大して得意ではない。でもそういうところに、ちょっとキュンとくる──少女漫画も顔負けの恋愛描写ではないか、と私は『こころ』を読んで思った。

好きな小説家から推測できる、漱石のロマンチストぶり

ちなみに夏目漱石が好きなイギリスの作家の1人に、ジェーン・オースティンがいる。オースティンといえば、『高慢と偏見』というイギリス貴族の結婚物語が有名な、恋愛小説家である。夏目漱石の好きな小説家の傾向を見ても、案外漱石はロマンチストだったであろうことは容易に推測できる。

夏目漱石といえば、「日本の近代的自立について語った」とか「近代文学の元祖」とかいう、生真面目な肩書で呼ばれることも多い文豪である。だがその小説をひらいてみれば、意外にも、ロマンチックで、少女漫画かな? と思うような描写も多い。きっと漱石自身、そのような描写を読むのも書くのも好きだったのではないか。今回紹介した作品以外にも、漱石の小説をひもといてみると、堅苦しいイメージと異なる、ロマンチックな表現が登場して驚くかもしれない。

三宅 香帆 文芸評論家

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みやけ かほ / Kaho Miyake

1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。2016年「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」がハイパーバズを起こし、2016年の年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位となる。その卓越した選書センスと書評によって、本好きのSNSの間で大反響を呼んだ。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。

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