漱石のロマンチック描写はこれだけではない。
「君は愛嬌の定義を知ってるかい」
「何のかのと云って、一分でも余計動かずにいようと云う算段だな。怪しからん男だ」
「愛嬌と云うのはね、──自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器だよ」
「愛嬌は、自分より強いものをたおす、柔らかい武器」。なんだか現代のSNSでバズりそうな名言であるが、真面目に漱石先生がつづった言葉である。なんだかロマンチックな名言だなあ、と思わないだろうか。
『こころ』で描かれた先生の恋
あるいは、ある先生との出会いと別れを描いた『こころ』。このなかにも「恋」に関するロマンチック発言が登場する。
「恋は罪悪ですよ」という言葉は有名なので、聞いたことがあるかもしれない。だが漱石のロマンチストぶりが表現されるのは、そこから先だ。恋は「罪悪」でありながら、「神聖」なものなのだ。
実際、『こころ』というものは、この先生の「恋」が引き起こしたある事件が大きな転換点となる物語である。──先生は、友人と同じ相手を好きになってしまうのだ。
「親友と同じ人を好きになる」なんて、古今東西よくある悩みだと思うかもしれない。だが先生とその親友は、深く葛藤する。それこそ、恋が「罪悪」であり、同時に「神聖」だと言う理由だ。恋は、人生を狂わせる罪悪であり、同時に、人生を救い得る神聖なものでもある。漱石は『こころ』のなかで、先生というキャラクターにそう言わせたのだ。
では、先生はどのようにして、その「恋」に落ちたのだろう? それは先生が学生時代、下宿を始めたところで描かれる。
下宿先の部屋には、花が活けられていた。そしてその横には、琴が立てかけられていた。──最初、先生つまり「私」は、その花や琴にいい印象を持たない。花で飾られるような部屋は嫌だなあ、くらいに感じてしまう。そしてその花を活けたであろう女性に対し、少し身構えるようになる。
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