コロナ対策が変わる。3月13日、政府は、屋内で原則着用としていたマスク着用を個人の判断に委ねることとした。さらに、5月8日には、感染症法上の位置づけを2類から5類に変更する。
今後、コロナは「普通の風邪」として扱われる。日本社会は余儀なく混乱するだろう。混乱を回避したい政府は、手洗い・手指消毒や三密回避などを盛り込んだ「新たな健康習慣(以下)」を発表し、対応に余念がない。
だが、私はこのような動きに違和感がある。それは、やり方が合理的でないからだ。
消毒の意義はさほどない
例えば、消毒だ。コロナ感染の多くがエアロゾルによる空気感染であることが判明した現在、手指やテーブルなどの消毒の意義はさほどない。一方、化学物質への暴露は、後遺症を残す可能性がある。
例えば、アメリカのニューヨーク・タイムズは、3月21日に「そんなに消毒しなくても大丈夫です」という記事を掲載し、消毒液に含まれる漂白剤などの化学物質による皮膚の炎症、喘息、目に損傷を与える可能性など、その弊害を紹介している。政府が推奨するだけの科学的根拠はない。
3月23日、新型コロナウイルスの専門家組織「アドバイザリーボード」は、パーティションはエアロゾル対策には限界があるが、飛沫感染予防には有効と提言した。この時期に、国民に伝えるメッセージとして、見当違いだ。
世界では、パーティションの弊害が議論されている。2021年8月27日、権威あるアメリカ『サイエンス』誌に掲載された総説には、以下のように記されている。
「室内での咳やくしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために設計された物理的なプレキシガラス※の障壁は、空気の流れを妨げ、さらには高濃度のエアロゾルを呼吸ゾーンに閉じ込める可能性があり、SARS-CoV-2の感染を増加させることが示されている」(※プラスチック製のガラスのこと)
この根拠となるのは、同じく『サイエンス』誌に掲載されたアメリカ・ジョンズ・ホプキンス大学の研究で、パーティションを使用した学校で、コロナ感染が増加していることを報告している。
なぜ、専門家はこのような研究を無視するのだろう。国民に伝えるべきは、自らの「信念」ではない。世界の科学界の議論だ。
「新たな健康習慣」の問題はこれだけではない。最も大きいのは、ワクチン接種について言及していないことだ。これは致命的といってもいい。
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