京都で150年「茶筒の老舗」が世界で支持を集めた訳 「修業」や「非効率」こそが今、世界で強みになる

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修業をし、「見て覚えろ」によって手で仕事を覚えていく中で、「これは開化堂らしい」「いいモノができた」というような、「らしさ」の感覚が体でつかめてくるようになったのです。

それは、自分から学ぼうとしないで最初から教えられていては、決してわからないものでした。自分から学ばないと「らしい」ことなんて身につかなかったのです。

この辺の感覚を言葉で伝えるのは、とても難しいことだと思います。

たしかに技術を教え込めば、器用な人なら、もっと早くブリキの板から茶筒をつくれるようになるかもしれません。

しかし、それでは頭で覚えられても、体感として覚えたことにはならない。

これは、有形のモノをつくる人だけでなく、無形のモノをつくる人でも同じです。

開化堂でいえば、ただつくれるだけでは、150年をかけて蓄積してきたモノづくりのあり方のような言外のニュアンスが、体得できてはいないのです。

そのあり方からでは、言葉を超えて伝わる「独自性」や「世界観」「らしさ」「感動」のようなものは、生み出すことなどできないでしょう。

長く愛される商売を目指すなら、「修業は必要」

短期間商売をして、短期間で売り抜けるタイプのビジネスを考えるのであれば、昨今の「修業不要論」でもいいのかもしれません。

でも、長く続く商いを目指すのであれば、やはり有形無形を問わず、商品の質に立ち返らなくてはなりません。

付け焼き刃でつくられたモノに、表面的にカッコいいマーケティングやブランディングの演出をつけても、使ったお客様はちゃんとモノの質を見抜きますから、じきに廃れていってしまうのです。

ですから、自分たちのモノづくりとは何なのかを吟味し、内面からにじみ出るような美しさが備わるように、丁寧に質の高いモノをつくっていく。

そのためにも、自分たちのアイデンティティーを、そこで働く人たちが身にまとい、体を使って自分自身に染み込ませていく。

私たちは、職人でありながら店舗にも立つので、父からは「うちは職人と違うで、職商売やで」と言われたものですが、モノをつくり、売る人が「開化堂のにおい」をまとうことで、はじめてお客様に伝わるものがあります。

目には見えないものですが、たしかに感じるものだからこそ、地道に時間をかけて、同じことを繰り返しながら、技術を修得する。

効率ばかりを求めず、そうした時期や過程をしっかり体感覚で経験して、たしかなモノをつくることが、言葉の外で伝わる何かを生み出していけるようになる、意味のあることなのだと感じています。

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