京都で150年「茶筒の老舗」が世界で支持を集めた訳 「修業」や「非効率」こそが今、世界で強みになる
また、2005年以降は海外からも茶筒の販売依頼が入るようになり、関係性を築いて継続的に海外展開をしていく中で、2014年にはイギリスのヴィクトリア&アルバートミュージアムに、2015年にはパリ装飾美術館やデザインミュージアムデンマークに、開化堂の茶筒がパーマネントコレクション(永久展示品)として収蔵されるところまで、評価をいただけるようになっていきました。
こうした結果、ありがたいことに、昨今、開化堂はたくさんの方から注目をいただけるようになり、その中には、私たちの茶筒そのものへの関心だけでなく、
「150年前と変わらないモノづくりが、現代でもうまく続いている秘訣は何ですか?」
「ティーバッグ等の普及で茶筒がない家も多い中、なぜ今、話題になってきたのですか?」
「海外でも売れていると聞いたのですが、どうやって売れるようになりましたか?」
「どうすることで、開化堂を推してくれるコアな人たちが生まれたのですか?」
というように、私たちの商いやその背景まで含めて、興味を持ってくださる方からお声をいただくことも増えてきました。
そこで、今回、私たちが日々大切にしていること、積み重ねていることを僕なりに文章にしてみることで、なぜ開化堂が時代の波や経済効率などに流されずに、長く続く商いを営むことができているのか、何かみなさんのお役に立てればと思い、書籍の執筆に至りました。
この記事では、私たちにとって欠かせない「開化堂らしさ」「世界観」を生み出すためにやってきたこと、日々大事にしていることをお伝えできればと思います。
時間をかけることで「言葉にならないもの」を身にまとう
僕は会社員経験を経て、家業に戻ったという経緯があります。しかし、いざ開化堂に戻ってみると、そこには想像を超える大変さが待っていました。
父はかつて「この仕事には先がない」と僕に言ったものですが、息子が職人となれば話は変わります。職人は、「見て覚えろ」の世界ですから、すべて横で見ながら習得していくよう命じられたのです。
そこからは見よう見まねで作業をしては、「あかん」と言われ、また見て同じ作業をすることの繰り返し。僕はそんな修業を、5年以上、繰り返すことになりました。
ただ、父が僕に職人としての地道な修業をさせ、年月をかけさせたことは、あとになってとても大きな意味があったことを痛感します。
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