1986年11月21日午後4時15分、伊豆大島の三原山のカルデラ床が噴火した。噴煙は高度8000mに達し、流れ出た溶岩は3000人が住む元町集落まで数百mの距離に迫った。午後10時50分、大島町は全島避難を決定する。
漆黒の山肌を不気味に流れる真っ赤な溶岩の映像に日本の茶の間の目がくぎ付けになっていたその頃、ソニー傘下の映像制作会社ソニーPCLにTBSのニュース番組のディレクターから電話が入った。
「噴火する仕組みをCG(コンピューターグラフィックス)で表現できませんか」
ソニーPCLのルーツは29年(昭和4年)設立の写真化学研究所だ。生まれたばかりの映画産業で「P.C.L.式トーキー」を用いた現場録音を請け負った。やがてこの会社が、いくつかの映像関連会社と統合されて現在の東宝になる。ソニー創業者の井深大が戦前、早稲田大学を卒業して入社したのがこの写真化学だ。
写真化学が他社と統合されると、2人の創業者はこれとは別に、フィルムの現像およびプリント業務を手がける会社を立ち上げ、同名の写真化学研究所と名付けた。この会社が70年にソニーに買収されてソニーPCLになる。写真化学は現像のほか映像制作でテレビ局と取引していた。放送現場のプロ用録音・撮影機器を扱うソニーは、最先端の映像技術を試せる制作現場が欲しかった。
リアルタイム3D画像処理システム
TBSのディレクターから依頼を受けたソニーPCLが、すぐに「できるか」と問い合わせたのがソニー厚木工場の情報処理研究所。研究所では大場章男、岡正昭らが放送局向けのリアルタイム3D画像処理システム「システムG」を開発していた。研究所に配属された久夛良木健が、一目見て次世代ゲーム機の着想を得たあの「システムG」だ。




















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