7歳の彼が過去に戻り離婚前の両親に言いたい事 小説『やさしさを忘れぬうちに』第1話全公開(4)

✎ 1〜 ✎ 18 ✎ 19 ✎ 20 ✎ 21
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

席に腰を下ろした葵は桐山少年の目の前に置いてあるコーヒーに気づくと、

「あの、これも下げてもらえますか?」

と、カップに手を伸ばした。

「あ、これは、いいの。大丈夫。僕のだから」

桐山少年は慌ててカップを押さえる。その行動に健二と葵が顔を見合わせた。

「お前、コーヒーなんか飲めないだろ?」

「そうよ。どうしちゃったの?」

不審がる二人に、桐山少年は、

「今日は僕が大人にならなくちゃいけない日だから。だからコーヒーなの」

と、苦し紛れの言い訳をした。

だが、桐山少年の言葉を聞いて二人はギョッとして、気まずそうに視線を逸らした。

「でも、無理して飲まないでね。ダメならお母さんが飲んであげるから」

心配そうに葵が声をかける。

「よければ、こちらお使いください」

そう言って、桐山少年のカップの脇にミルクピッチャーを置いたのは時田数だった。中身は牛乳である。確かに、普通のコーヒーなら牛乳と砂糖を加えると飲みやすくなる。だが、このコーヒーはただのコーヒーではない。桐山少年は牛乳を入れたら一気に冷めてしまうのではないかと心配そうにミルクピッチャーを見つめた。

すると、数はすかさず、

「心配いりません。どれだけ入れてもコーヒーの温度に影響は出ませんので」

と、付け加えた。

健二と葵は数のその言葉を聞いて、何を言っているのかわからずに首を傾げたが、桐山少年だけは、

「ありがとう」

と言って、数に丁寧に頭を下げた。

僕は笑って「わかった」と答えて飲み干せばいい

これは、牛乳以外でも変わらない。たとえば、カップをバーナーなどで温めても、中のコーヒーの温度を変えることはできない。どんな努力をしても現実を変えられないのと同じで、どんなに熱を加えても数が淹れたコーヒーの温度を人為的に変えることはできない。ここにも、喫茶店の不思議な力が働いている。

「お待たせしました」

やさしさを忘れぬうちに
『やさしさを忘れぬうちに』(サンマーク出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

桐山少年が牛乳をカップに注ぎ、砂糖を入れてかき混ぜていると、キッチンから流がクリスマスケーキを持って現れた。ケーキには「メリークリスマス」と書かれたプレートが乗っている。

去年のクリスマスでは、桐山少年が切り分けられたケーキを一口食べた所で店内の柱時計が鳴り、葵が桐山少年の頭をなでながら、

「よく聞いてね、ユウキ」

と、話を切り出した。

その時の葵の手の温もりをよく覚えている。桐山少年は去年のクリスマスで泣いてしまったことを思い出しながら考えていた。

(お父さんとお母さんは別れても、楓ちゃんと西垣さんと幸せになる。だから、僕は笑って「わかった」と答えてコーヒーを飲み干せばいい)

葵の手でケーキが切り分けられ、準備は整った。あとはフォークでケーキを口に運ぶだけでいい。

(第5回<最終回>に続く、3月31日配信予定)

川口 俊和 小説家、脚本家、演出家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

かわぐち としかず / Toshikazu Kawaguchi

大阪府茨木市出身。1971年生まれ。舞台『コーヒーが冷めないうちに』第10回杉並演劇祭大賞受賞。同作小説は、本屋大賞2017にノミネートされ、2018年に映画化。川口プロヂュース代表として、舞台、YouTubeで活躍中。47都道府県で舞台『コーヒーが冷めないうちに』を上演するのが目下の夢。趣味は筋トレと旅行、温泉。モットーは「自分らしく生きる」。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事