それからぼくは、なんでも一人でできるようにがんばった。早く大人になってお父さんの仕事を手伝おう。お母さんがぼくのことを心配しなくてすむようにしよう。そうすれば、また、昔みたいに笑ってくれるに違いない。
ぼくはそう思っていた。
でも、そうじゃなかった。
ここだけがお父さんとお母さんの幸せの場所じゃなかったんだ。お父さんとお母さんが笑える場所は、他にもあった。
よかった。
本当によかったと思う。
★
「いつの間にそっちの席に移動したんだ?」
健二の素っ頓狂な声で、桐山少年は目を開けた。
「あ、えっと」
確かに、去年、クリスマスに家族で座ったのは中央のテーブル席だった。二人掛けのテーブルに椅子を一つ追加してもらったのを覚えている。背を向ける健二の向こう側で、葵も不思議そうな顔で桐山少年を見つめていた。
「ま、いいか。ほら、これからケーキ出してもらうから、こっちの席に戻って来なさい」
「ケーキはこちらにお出ししましょうか?」
健二はなぜか桐山少年の瞬間移動とも言える席移動について深く追求しなかった。
普通はあり得ない。
だが、これは、喫茶店の不思議な力のせいだ。〝過去に戻ってどんな努力をしても現実は変わらない〟というルールと、同じ力が働いている。例の席に突然現れた人物に対して、「ま、いっか」と思わせる。。なぜなら、そのことを追及している間に、あっという間にコーヒーは冷め切ってしまうからだ。
桐山少年も、健二の追及がなかったことにホッと胸をなで下ろした。
だが、戻って来いと言われても、座った席からは移動できないというルールがある。離れれば、もとの時間に引き戻されてしまう。桐山少年はまさかこんな状況になることを予想していなかったので、立ち上がることもできず返答に困った。
すると、キッチンから時田流が現れて、
「テーブルが狭いので、ケーキはこちらにお出ししましょうか?」
と、声をかけた。
健二と葵は顔を見合わせた後、自分達のテーブルの上を見た。確かに、元々二人掛けのテーブルに三人分の食事を乗せていたため、テーブルの上は食器でひしめき合っていて、ケーキを置くスペースはない。片づけるのを待てば済む話だが、店主が席を替わっていいと言うのであれば、その方が手取り早い。
健二と葵は流の提案に同意し、席を移動した。
「ありがとうございます」
桐山少年が流に礼を言うと、流は、
「どういたしまして」
と、事情を理解している者として、当然のことをしたまでですという表情を見せた。
桐山少年がいる席も二人掛けだったので、健二が自分の椅子を持ってきた。桐山少年の向かいに葵が、その間に健二が座った。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら