年齢四十代後半くらいのサングラス姿の男
函館の夏は短い。
チラチラと葉が散りはじめたかと思うと、またたく間に函館山は燃え立つほどに紅く染まる。
中でも大三坂は異国情緒にあふれる石畳の美しさと、街路樹のナナカマドのエキゾチックな紅い彩りで、観光地としても有名である。
喫茶ドナドナの青い空と函館港を望む大きな窓にも、秋はやってきた。
眼下に広がる紅葉は、店内の雰囲気すらロマンチックに変える。
そのせいであろうか、
(カップルが増えた)
と、カウンター席に座る松原菜々子は思った。
この日は日曜日。
お客さんは、いつもの倍はいて大変にぎわっている。しかし、ほとんどは観光客なので、ここが過去に戻れる喫茶店であることを知っているのは何人いることか……。
そのカップルたちに紛れて、年齢四十代後半くらいのひょろりと背の高いハンチング帽にサングラス姿の男が一人、ここ三日ほど通い詰めている。朝はオープンから来て、閉店までいる。不審者だと思われてもおかしくない。
そんな怪しい男の向かいの席に、時田幸がいた。手には例の『一〇〇の質問』の本を持つ。
普通に考えれば、見ず知らずの怪しげな男と幸が同じ席に座っていれば、カウンターの中で仕事をしている母親の時田数はもちろん、菜々子の隣でランチ中の村岡沙紀も警戒するものである。
しかし、そんな警戒心は誰からも感じられなかった。
なぜなら三人とも、その男は、
(過去に戻るために来た客)
だと思っているからだ。
おそらくは様子見、ここが本当に過去に戻れる場所なのかを探りに来ているか、もしくはルールを知っていて、例の席に座る黒服の老紳士がトイレに立つのを待っているということも考えられる。得てして、そういった客は多い。現に、夏の終わりに亡くなった両親に会いにきた女も、一度昼間に様子を見にきて、その日の夜、再び姿を現した。
この男の場合、
(踏ん切りのつかない優柔不断な性格)
というのが、総合病院の精神科で働く医師の、沙紀の見立てである。
雰囲気からも悪い男には見えない。
それを一番見抜いているのは、男を相手に『一〇〇の質問』を楽しむ、幸なのかもしれない。
「第五十七問」
「はい」
幸とサングラスの男のやりとりを菜々子がカウンターから眺めながら、
「すっかり気に入っちゃったみたいですね?」
と、数に語りかける。
菜々子は『一〇〇の質問』のことを言ったのだろうが、幸の態度を見る限り、七歳の幸の質問にまじめに答えるサングラスの男も気に入られてしまったのだと、数は思った。
「あなたは今『不倫関係』にあるとします」
「不倫かぁ、これまたしょっぱい質問が来そうだな」
もちろん、幸は不倫がなんであるかを知るはずもない。本を通じて人とやりとりをするのが楽しいのである。
「あるとします」
「はい」
サングラスの男もまんざら楽しくないわけではなさそうだ。
幸の質問が続く。
もし、明日世界が終わるとしたら、あなたはどちらの行動をとりますか?
① 夫、または妻と過ごす
②不倫関係にある彼、または彼女と過ごす
「さ、どっち?」
サングラスの男が「うーん」とうなって首をひねる。
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