もちろん、ここにいる菜々子や沙紀、サングラスの男が、この『一〇〇の質問』が、読み手に人生の大きな岐路を問いかけているということに気づくことはない。単純に仮想された世界の終わりを前にした、究極の選択を楽しんでいるだけである。
ハムレットのようにどちらも選択できないサングラスの男に、幸が、
「優柔不断は身の破滅のもとだよ」
と、たしなめた。
シェイクスピア全作品を読破している幸だけは、この『一〇〇の質問』がただの娯楽本ではないことに気づいているかもしれない……
カランコロロン
カウベルが鳴る。
「戻りました」
入って来たのは客ではなく、小野玲司である。旅行用のキャリーケースをガラガラと引きずっている。背にはリュック、お土産の入った紙袋を手に持っている。
「玲司お兄ちゃん、おかえり」
「ただいま」
玲司は幸に挨拶すると、そのまま厨房の中へと消えた。
函館のフニクリフニクラ
「東京から戻ってきたばっかりだろ? 休んでもよかったのに……」
「大丈夫です。今日、日曜だし、これからもっと混みますよ」
これは厨房での流と玲司の会話。
流は来函して二か月なので、この喫茶店の秋の行楽シーズンの混み具合を知らない。東京のフニクリフニクラは、街はずれの路地にある地下の喫茶店だったので、季節や行楽シーズンに関係なく常に暇だった。客といえば、ほぼ常連客だけで、席数も少なく九席しかない。 そのうち、一席は過去に戻れる席なのだから実質八席。
だが、ここは函館。観光地の真っ只中。席数もテラス席を入れると十八席。行楽シーズンともなると満席になることもある。一人でも人手は多いに越したことはない。
玲司はエプロンをつけて、トレイにパフェを二つ載せて戻って来た。
「お土産は?」
聞いたのは菜々子である。
「まぁ、待てって……」
玲司はそう言って、颯爽とテラス席にパフェを提供しに行った。
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