過去に戻れる喫茶店、通い詰めるお笑い芸人の男 小説「思い出が消えないうちに」第2話全公開(1)

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テラス席も昼間であれば、まだこの季節でも寒いというほどではない。この日は特に風もなく、紅葉を眺めながら過ごすひとときは格別である。

パフェを提供した後、函館の見どころでも聞かれたのか、玲司はしばらくカップルと談笑して戻ってきた。

「オーディションはどうだったの?」

「今回のネタはかなりいい線いったと思う」

菜々子が聞くと、玲司は胸を張って答えた。

玲司はお笑い芸人を目指していて、時々、デビューを夢見て東京にオーディションを受けに行っている。だが、これまで一度として受かったためしはない。

そんな成り行きをよく知る沙紀が、

「まだ、芸人になるためにわざわざ無駄なお金使って東京までオーディション受けに行ってんの?」

と、ため息まじりにつぶやいた。

「無駄なお金じゃないです! 投資! 未来への投資です!」

「もうあきらめたら? 玲司くん、才能ないよ?」

ここでも、歯に衣着せぬ物言いは健在である。むしろ、つきあいが長い分だけ厳しい。

だが、玲司も負けてはいない。

「そんなことないです!」

「だって、ね?」

結果が伴ってない、と。

沙紀の発言に乗じて、菜々子も、

「才能はない」

と、言い切った。

「おい!」

(お前まで一緒になってハッキリ言うな!)と玲司がツッコミを入れる。

しかし、菜々子の言葉には続きがあった。

「でも、それでもあきらめないのは才能だよ」

「嬉しくなーい」

菜々子は励ましたつもりなのだろうが、励ましになっていなかった。

しかし、こんな会話もいつものことである。沙紀は本気で玲司に芸人をあきらめさせるつもりかもしれないが、玲司は沙紀の発言を冗談だと思っている節がある。夢見る若者には、暖簾に腕押しなのかもしれない。

その玲司が、幸の持っている例の本に気づく。

「お、今、何問目?」

「五十八」

「隠し子がいるやつだ?」

玲司が番号だけで内容を言い当てる。

沙紀が目を丸くして、

「覚えてんの?」

と、頓狂な声をあげた。

「こんなの一度読めば覚えられますよ?」

「芸人以外に、その才能を生かせる仕事があると思うんだけど……」

「もういいです!」

玲司はそう言って話を終わらせたが、菜々子は(そうなんですよね)と沙紀の意見に一票投じていた。

「ポロンドロンの林田さんじゃないですか?」

そんな大人のやりとりも、幸には関係ない。

「どっち?」

と、玲司に答えを迫った。

「うーん、そうだな……」

玲司は自分でやった時に一度答えは出していただろうが、幸を前に、ここはあえて悩んでみせた。こんなやりとりを幸が楽しんでいることを知っているからである。

ふと、玲司の目が向かいに座るサングラスの男を捉えた。同時に、男は挙動不審に両手で顔を隠した。

「林田さん?」

玲司がつぶやいた。

「あ、えっと……」

「お笑いコンビ、ポロンドロンの林田さんじゃないですか?」

「いえ、通りすがりのアメリカ屋です」

応じて、男は「あっ」と声を漏らした。

次ページ「確かに、言われてみれば……」
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