「連合赤軍」当時を知らない30歳の彼が追う理由 最高幹部「森恒夫」を知る人達の取材で見えた事
━━佐賀さんが、そもそも「連合赤軍」に関心をもったのは、なぜなのでしょうか?
大学院生のときに、朝日新聞のインターンシップに参加しました。インターシップでは、三里塚(注:千葉県成田市。農民主体の、成田空港建設の激しい反対闘争があり、闘争には学生も支援参加した)に行きました。
三里塚を見てまわっていたときに、鉄塔を見たんです。成田空港の中の、滑走路のある敷地内のど真ん中に、フェンスに囲まれた孤島のように鉄塔が立っている。こんなものがあったのだと驚きました。
いまの世界とのつながりを感じた
学生運動については、歴史の知識として少しはあったのですが、実物(闘争の名残)を目にすることで、自分がいま生きている世界とのつながりを感じた気がしたのです。
昔の学生運動はこんなことをやっていたのだというのを肌感覚で受け止め、本格的に(1960年代末の学生運動から派生した「連合赤軍」を含め)当時の事件を調べはじめるようになりました。
━━佐賀さんはこの本を書くために一度会社をやめて取材に専念されたそうですが。
きれいな言葉でいうと、使命感です。2017年に赤軍派(注・「連合赤軍」は、本来異なる組織だった「革命左派」と「赤軍派」が合体した団体)をつくった塩見孝也さんが亡くなられたんですね。いま取材しないと当事者がどんどんいなくなってしまうという焦りもありました。
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