「連合赤軍」当時を知らない30歳の彼が追う理由 最高幹部「森恒夫」を知る人達の取材で見えた事

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━━わかることはありましたか?

まぁ、本当によくこんなところに潜んでいたなと。自分が行ったときは12月で、まだ雪は降ってなかったんですけど、当時は一面雪の中、極限状態だったと思うので。それでも逃げようと思えば、いつでも山を下って車が走る道路には出られる。そういう場所なんですよね。

そういった環境下でベース(山岳アジト)がつくられ、ああいう総括が行われていた。何とも言えない、これは行ってみないと感じとれないことです。

山岳ベースを探しに行ったときの写真(写真:佐賀旭撮影)

最初に、仕事をやめてまでよくこれを書こうとしたと言ってもらったのですが、山岳ベースのあった場所を1人で登っていたときには「自分は何をやっているんだろう?」「何がここまでさせるんだろう」「彼らもそう思うことがあったのだろうか」、そんなことを考えたりもしていました。

対話を通して人間性に迫る

『虚ろな革命家たち──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』(集英社)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

━━本書を読んでいて感じたのは、これは「対話」の本だということです。同級生たちの聞き取りも含めて、全体が森を知る人たちとの「対話」になっている。なぜ「森君」は「連合赤軍の森恒夫」になってしまったのか? 「対話」は森たちが上下関係をもとにして行った「総括」と対称形でもあります。

僕がもともとやりたかったのは、森恒夫の人間性に迫りたい。では、どこに人間性が出てくるのかというと、1つひとつの「対話」から出てくるものではないのか。

例えば同級生が語っていたように、1人で遅くまで残って練習していたとか。そういった一面を見出すために取材していたような気がしています。

【インタビュー後記】本書のオビには「誰だって、「彼」に成りうるのかもしれない。」と記されている。本書を通して、これまで語られてこなかった「森君」について知るうちに、遠い存在だと思い込んでいたけれど、実は誰もが彼に成りうるのかもしれない、そうした戦慄にも似たものを感じとった。
朝山 実 インタビューライター

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あさやま じつ / Jitsu Asayama

1956年生まれ。著書に『お弔いの現場人 ルポ葬儀とその周辺を見にいく』(中央公論新社)。ほかに『イッセー尾形の人生コーチング』『父の戒名をつけてみました』『アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年』など。

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