「連合赤軍」当時を知らない30歳の彼が追う理由 最高幹部「森恒夫」を知る人達の取材で見えた事
ちょうど30歳になったのですが、書いているときは27、28で、森恒夫が総括(注:革命家としての自身のあり方を反省させる「総括」の中で仲間を暴行・殺害した)をやって、自殺した年齢と同じ。その年だからこそある意味、彼が当時抱いていたであろう狂気、居場所のなさ、いろんな感情を、同じ目線で受けとめられたという思いがあります。
━━その年齢でしか書けないものはあるのでしょうね。
そういえば中核派のビルを取材するときに、たまたま大学のゼミの後輩で20代半ばくらいのカメラマンを連れていったんです。断られるのではないかと思ったら、「行きたいです!」と。たぶん純粋な好奇心からだと思うんですけど、もう少し自分よりも上の世代になると、嫌悪感というか、そういう活動自体に対する忌避感が働いているのだと思います。
優しかった「森君」が変わった理由
━━佐賀さんが実際に森の高校の同級生に会いに行ったとき、彼らがこんなにも多弁に「森君」について話していることに驚きました。取材者に話すというのは、彼らもおそらく初めてのことでしょう。
最初はスタンダードに、小さい頃からたどろうとしました。でも追えたのは中学くらいからで、中高が一緒だった同級生に話を聞いたときに「森君だよね。優しかったよ」という言葉が出てきたのです。そこで、優しかった「森君」が「連合赤軍の森恒夫」になっていったのはどういう経緯からなのだろう、と。
━━彼の高校時代のあだ名が「らっきょう」だった。弱々しく見えたというのが印象に残りました。連合赤軍では「オヤジさん」と言われ強面だった彼が、まわりから軽く扱われていたんですよね。
実は先週も大阪に行って、同級生の人たちに会って本を渡してきたんです。やっぱり話に出てくるのは「あの森さんが、なんであんなことをしたんだろうか?」なんですね。
そういった困惑は、ほとんどの同級生が感じていたことみたいで。だから取材もスムーズにできたし、「自分もぜひ話しておきたい」という人もいて。
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