「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
この俳句でわかるのは、信長と秀吉がホトトギスを「支配」したのに対して、家康の俳句はホトトギスを支配するのではなく、ホトトギスが状況を変えるのを待つという姿勢です。つまり家康には「自分で状況を支配する」ヒーロー的な力はない、一般のわれわれと同じ人間ということで、庶民の人気を得るためのヒーロー的要素が家康にはないのです。そしてこれが、家康が経営者に支持される点でもあります。
経営者といえども「状況をすべて支配できる」力を持つ人はほとんどいません。マーケット、顧客、株主、社員、さまざまな要因に振り回され、そのたびに難しい意思決定を迫られます。家康は、例えて言うなら中小企業の社長のような立場からスタートした人物です。最初は今川家という大企業の子会社として支配され、その支配から脱したと思えば、同盟したはずの信長の支配に置かれ、妻や子を殺さなければならない状況にまで追い込まれます。
その信長が倒れると、今度はその信長の部下であった秀吉に屈し、自分が命を懸けて守ってきた領地を奪われ、作物が育ちにくい荒れた土地の関東に追いやられてしまう。家康の半生は、そうした「支配」に対して、まさに「どうする?」という決断の連続でしかありませんでした。
家康の意思決定は現代の経営そのもの
このような家康の生き方は、経営者にとっては、まさに「リアル」なことです。資金繰りに追われたり、取引先の裏切りにあったり、せっかくシェアをとったマーケットに大企業が突然参入してきたり、まさに不測の事態の連続です。それでも社員を守り、業績を上げ、どんな厳しい環境でも生き延びなければなりません。
経営者にとっては、信長のような「破壊的」で「革命的」「電撃的」な意思決定は、憧れはあっても実際にできるかというと難しい部分が多いでしょう。それは信長という常人離れした「天才」しかできないことだからで、再現性は低いからです。信長に比べれば秀吉の方が再現性は高そうですが、日本を飛び出していくようなスケールの大きい発想力は、やはり「天才」の域であり、これまた難しい。
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