「GDPの上昇」を追い求め続ける人類の悲惨な末路 私たちが目指すべき「永遠なる成長」以外の道

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アマゾンの密林は何千万年も前からある。その間、今とおおよそ同じ範囲を密な林冠で覆って、地球上で屈指の好環境で繁栄を続けてきた。

アマゾンに降り注ぐ日光や雨の量、土壌の栄養レベルも、やはりずっとほとんど変わっていない。それでもその生物のコミュニティー内の種は様変わりしている。

スポーツのリーグで各チームの順位が入れ替わるように、あるいは株式市場で株価が変動するように、どの1年を取ってみても、そこには必ず勝者と敗者がいる。勢力を伸ばす個体群がつねにあって、ある場所に進出してはほかの種を追いやり、自分たちの数を増やしている。

ある木が倒れた場所は、別の木によって占領される。新しく登場する種もあれば、姿を消す種もある。新しく登場した種の中には、ほかの種の隆盛を後押しするような新機軸をもたらすものもいる。

例えば、コウモリの新種は、夜に開花する植物の花粉の運び手になるかもしれない。逆に言えば、生物種の数が減れば、それだけ森林に棲む生き物たちの隆盛のチャンスも減るということだ。

アマゾンの熱帯雨林の生物のコミュニティーはたえず調節や反応や改良を繰り返すことで、何千万年ものあいだ、もとからある資源だけを使って、一度も途切れることなく繁栄を続けてきた。

アマゾンは地球上で最も生物多様性が豊かな場所であり、生命の営みが最も大きな成功を収めている場所だが、成長を必要としていない。いつまでも存続できるだけの十分な成熟に達しているからだ。

「GDPの上昇」という金科玉条

現在の人類には、そのような定常期の成熟をめざそうとする意志は感じられない。経済学者たちが口を揃えて説明するように、過去70年にわたり、あらゆる社会的、経済的、政治的な機関が至上目標として掲げてきたのは、国内総生産(GDP)という大雑把な基準で計測される国ごとの右肩上がりの成長だ。

社会の団結にも、事業の見通しにも、政治家の公約にも、GDPのたえざる上昇が求められる。

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