新海誠作品から「思春期の少年」が消えた"なぜ" 大ヒットアニメ「すずめの戸締まり」にみる進化
新海誠の最新作アニメ映画『すずめの戸締まり』が公開されて1カ月が経ち、大ヒットを記録している。だが、この作品からは、これまでの新海作品のトレードマークだった“思春期の少年”が消えてしまったとファンの間で話題だ。この変化は、作家としての進化なのか、それとも別の要因があるのだろうか。
“思春期の感情”を静かに美しく表現
新海誠の作品。そこには必ずと言っていいほど、“思春期の少年”が登場する。作品の中では、女性のことを強く大事に思いすぎるがあまり、積極的にアプローチすることのできない繊細な感情が表現されている。
初期の作品からそれは濃厚だった。2007年の『秒速5センチメートル』は、小学生のときに好きになった女性を思い続ける少年が大人になるまでを描く。劇場公開時に、筆者は渋谷のシネマライズに新海氏のトークショー付きの上映を見に行ったが、観客の9割は20〜40代とおぼしき男性たちで埋まっていたのを強く記憶している。
それは万人に共感を得られるような内容ではなかったかもしれない。しかし、思春期に抱くもどかしい感情を静かに美しく表現し、特定の層に強く刺さっている印象だった。
2016年の『君の名は。』が衝撃的だったのは、その作風を変えないまま、大ヒットに結びつけたことである。
少年が少女の体に入れ替わった後の女性の体へのぎこちない触れ方や、結果的に少女の唾を少年が飲むことになる“口噛み酒”という設定、少年が年上の女性に憧れるくだりなど、それらはこれまで新海氏が表現してきた世界の延長線上にある。
『君の名は。』の終盤、「ずっと何かを誰かを探しているような気がする」とモノローグが入り、東京の街で主人公の2人がお互いの姿を探し続けるシーンがある。それはそのまま『秒速5センチメートル』の主題歌だった山崎まさよしの『One more time, One more chance』の「いつでも捜しているよ どっかに君の姿を」といった一連のフレーズを流してもハマるほどだ。
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