新海誠作品から「思春期の少年」が消えた"なぜ" 大ヒットアニメ「すずめの戸締まり」にみる進化
同作の公開時に、新海氏は「僕らの映画は10代の観客も多い」と発言している(『週刊ファミ通』2022年12月1日号)。注目したいのが、ここでの主語が“僕”ではなく“僕ら”なことだ。
何をさまつなことをと思われるかもしれない。たしかに、映画監督がスタッフに敬意を表して、「僕らで作った映画」と主語を複数形にするパターンはままある。ただ新海氏は、主語が単数で出発した映画作家なのである。
2002年の初の映画『ほしのこえ』は、劇場公開作としては稀有な、ほぼひとりでつくった作品だった。自宅で制作した作品が劇場で公開されるという、一種の夢物語を体現したのが新海氏だったのだ。
そこにコミックス・ウェーブ・フィルムという理解者が加わり、そして時を経て東宝という日本映画界の最大手が加わった。こうして、“僕”は“僕ら”になった。夢が大きくなっていったとも言えるが、それだけでなく、特に『天気の子』と『すずめの戸締まり』の間で急速に新海氏の成分が薄れていったようにも感じるのである。
“許される表現”を追求
『すずめの戸締まり』では、鈴芽が私服でヒッチハイクをするシーンがある。新海氏が書いた脚本の初稿では、草太による「制服姿のほうが目立つから車が止まってくれるんじゃない?」というセリフがあったが、スタッフの反対にあい削除したのだという。
制服姿のほうがヒッチハイクで車をつかまえやすいのは事実だろうし、新海氏の世界の見方もわかるユーモラスなセリフでもある。『君の名は。』のときも、先の“口噛み酒”はスタッフの大きな反対にあっていたというが、その表現は残っていたことから、今作には特にコンプライアンスを意識した作品づくりの気配を感じる。
周囲のスタッフだけではなく新海氏自身も、世間のムードを気にしているようだ。『君の名は。』の公開の翌年に「#MeToo」のムーブメントがあったことに触れ、「瀧が目覚めるたびに三葉の胸を揉むシーンも、今だったらボツにしますね」と断言。
「これから『金曜ロードショー』などテレビで『君の名は。』が放送されるたびにどう思われるか心配もしなくちゃいけない(笑)。それくらい許される表現と許されない表現がたった6年で変わりました」(『週刊プレイボーイ』2022年11月28日号)と語っている。
その意味で『すずめの戸締まり』は、“許される表現”を追求した結果であり、そこに新海氏の優しい配慮とクリエイターとしての器用さを感じる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら