新海誠作品から「思春期の少年」が消えた"なぜ" 大ヒットアニメ「すずめの戸締まり」にみる進化
2019年公開の『天気の子』でも、それは健在だった。1990年代後半から2000年代前半に特に多く見られ、「好きな子をとるか世界をとるか」という問いが提示される“セカイ系”作品。新海氏の初期作品の一部もそこに含まれるが、その原点に戻ってきたかのような設定だった。
新海氏が描いてきたのは、少年に当てはまるものだけではない。少女の中にもある、「見えている世界が狭いからこそ、相反してそれが世界のすべてにも見え、壮大に感じられる」というような思春期の感情の機微を描いてきたのだと感じさせられる。
成長によって見える世界が広くなるほど、相対的に思春期の感情の機微はその形を小さくしていく。新海誠という作家はその公開規模が大きくなっても、「成長によって多くの人が忘れさっていく思春期の感情の機微」を恐るべき純度で映像化してくれる作家だったのである。
(※ここから先は、一部ネタバレを含みますのでご注意ください)
「外見」に惚れてしまうヒロイン
しかし、最新作『すずめの戸締まり』では、そもそも思春期の少年が登場しない。メインの男性キャラクターである草太は大学生という設定だ。
そうなると主人公の女子高生・鈴芽に“新海性”を期待したくなるが、彼女が草太とすれ違った瞬間に発する第一声は「キレイ……」であり、その後、草太を探すときに発する言葉は「イケメンの人ー!」である。明らかに外見で惹かれた、という描写なのだ。
これは「女性は男性の外見に惚れるものである」という思春期に抱きがちな価値観が表出しているとも言えなくはないが、これまでの作品で描いてきた恋とは明らかに一線を画している。
『君の名は。』の主人公の男女は、最初は反目しあっているが、徐々に“相手の目を通した世界”を感じることによって惹かれ合う。直接的に出会うことはできない2人は、あくまで内面ベースで相手を好きになり、最終的に出会えるまでを2時間かけて描いている。
しかし、『すずめの戸締まり』では開始3分で2人は出会ってしまう。最初の動機は外見で、中盤で草太は椅子になるものの、人間に戻るとすぐに鈴芽を抱きしめてしまえる大胆なマインドの持ち主である。これは同作で大きく作風の変革に舵を切ったと考えていいだろう。
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