新海誠作品から「思春期の少年」が消えた"なぜ" 大ヒットアニメ「すずめの戸締まり」にみる進化
その反応を受けて、『天気の子』では存在した「怒らせよう」という発想が、『すずめの戸締まり』ではなくなったということなのだろうか。『君の名は。』では震災をメタファーとして描いていたが、『すずめの戸締まり』では直接的に描き、“悼む”シーンがあるのも観客に誤読させないための配慮なのかもしれない。
とはいえ、調節はされているものの、新海氏の中に通底するものは確かに存在する。『君の名は。』から遡ること3年、2013年の新海氏はこう語っていた。
「アニメーション作品は、心の傷を負っている人が、傷を治すためのあいだに貼るバンドエイド(絆創膏)のような役割を担い、前に進む手助けをすべきだ」(「PHPオンライン衆知」2013年7月10日)
その意味で『すずめの戸締まり』は、まさに震災で心に傷を負った主人公の鈴芽が前に進んでいく作品だ。鈴芽は、新海氏が癒やそうとする相手そのものだったのかもしれない。
プロデューサーの川村元気氏は『すずめの戸締まり』がヒットした理由を「監督がどこまでも超個人的な視点で世界を描いているから」と説明し、「エンタテインメント大作でありながら世界を見る視点は昔から変わらない」と話す(『日経エンタテインメント』2023年1月号)。
時代の空気を読む能力やそこに対応する調節の技術は上がっているが、その世界の眺め方に“新海性”がある限り、技術が作家性を侵食することはないということなのだろう。
2019年公開の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を監督したポン・ジュノは、アジア映画初のアメリカ・アカデミー作品賞を受賞したときのスピーチで、マーティン・スコセッシ監督の言葉を引きながら「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」だと語った。
“最も個人的なこと”を傑作にできる稀有な作家
新海誠という監督は、ひとりで部屋でつくっていたという“個人的なもの”を、そのまま劇場公開という“公”に接続し、さらに大ヒットにつなげることができたという選ばれし作家である。作品が結果的に大ヒット商品になった人であり、最初から“商品”をつくろうとして個を封印した作家ではない。
“個”を保ったままメジャーになるという成長を遂げたからこそ、作品によってその濃度を調節できる。
アニメーションをバンドエイドにすることもできれば、観客を「怒らせる」こともできる。それは“空気を読みながらキレる”ようなことであり、大抵は真似をしようとしても“空気を読みすぎて周囲に何の影響も与えられない”か、“キレすぎて空気を壊す”ことになりかねない。
数年後の世間の空気を読みながら、次はどんな“個”を接続させていくのか……。早くも新海氏の次回作が楽しみである。
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