2002年の5月4日。ゴールディンウィークを利用して向かった広島は雨。楽しみにしていた広島市民球場でのカープ対タイガース戦が中止となり、仕方がなく近くの映画館でロングラン上映されていた『千と千尋の神隠し』を見た。
それまで、アニメ映画やジブリなどにまったく興味がなかった私だが、あろうことか、開始早々、ものの5分くらいで画面に引き込まれ、千尋にもぐんぐん感情移入し、ファンタジックな作品の世界にどっぷりと浸かった。気が付いたら、親子連れのど真ん中で、滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。
新海誠監督の前作『君の名は。』(2016年)についても、『千と千尋~』ほどではないものの、瀧と三葉、そして彗星落下と「タイムリープ」が織りなす映像美に没入、十分に満足した。
言いたいことは、『千と千尋~』と『君の名は。』という、歴代邦画興行収入ランキングのトップ2となっているアニメ映画と、7月19日に公開された今作の『天気の子』には、印象のズレがかなりあったことだ。
もう少し具体的に言えば、『君の名は。』に対して『天気の子』には「地味」な印象を抱いたのである。
「君の名は。」の二番煎じではない「天気の子」
彗星落下のような強烈な天変地異ではなく、ただ雨がひたすら降り続くこと、ダイナミックに時制をまたがる「タイムリープ」もしないこと、さらに何といっても、主人公=帆高と陽菜の生活シーンが「地味」、もっと言えば「貧乏」なのである。
ロケーションで言えば、代々木の廃ビルに始まり、歌舞伎町の雑居ビルの入り口、ネットカフェ、ファストフード店、田端の木造アパート、ラブホテルなど。またそれらの場所で2人は、インスタントラーメン、ポテトチップス、カップ麺などのジャンクフードをほおばるのだ(実においしそうに!)。
ストーリーも『千と千尋~』や『君の名は。』と比べると、観客に与えるカタルシスが弱く、見終わった瞬間「あー、スッキリした!」と感じにくい作品だった。
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