まとめると、貧困・不自由・心配に溢れた閉塞社会(その象徴としての東京)を描くこと、そして、それを笑顔で快活に乗り越えていく少年少女を描くこと。もっとシンプルに青臭く言えば、これからの現実を生きる若者への応援こそが、『天気の子』に込められたメッセージだったのだ。
言い換えれば、この作品は、「ファンタジーからリアリティーへの価値転換」という、(メジャー)アニメ映画界における、劇的なパラダイムチェンジを、鮮やかな形で推進した映画と見ることができよう。
閉塞した現実を忘れさせるカタルシスを与える「ファンタジー価値」から、閉塞した現実をむき出し、直視させ、それを乗り越えるためのモチベーションを与える「リアリティー価値」への転換。
そう考えると、識者の言う「東京の閉塞・破壊」や「放射能」というテーマも相反せず包含できる。またこの作品が、ファンタジー・アニメの系譜でもありながら、昨年の『万引き家族』や今年の『新聞記者』などのリアリティー映画の系譜でもあると位置づけられる(なお私のこの連載ではこの両映画についても批評している。内容的に今回と共通するところがあるのでご一読いただきたい)。
天気の子が成功した要因
ただし『天気の子』には、雲の上(中)の映像美など、「ファンタジー」要素も含んでいる。つまりは、「価値転換」の途上としての「ファンタジーからリアリティーの両立」こそが、この作品の大きな成功要因だったのではないか。
だからこそ、『君の名は。』の続編を期待した層も、「リアリティー」という新しい価値に誘引された層も、両方とも満足させた結果、現在の大ヒットにつながっていると見るのだ。
最後に私自身の評価を書き添えれば、『天気の子』には、『君の名は。』よりも高得点をつけた。歳のせい(で「すれっからし」になったせい)か「ファンタジー」に身を委ねるのが、しんどくなってきたこともあろうが、同じく歳のせいか、健気に頑張る若者の姿には、理屈抜きに胸が熱くなることも加勢したと思う。
ということは、今後、そういう「リアリティー」価値に誘引されるミドル・シニア層の観客を継続的に上乗せできる可能性がある。そう考えると「ファンタジーからリアリティーの両立」に成功した映画=『天気の子』の未来は明るい。見渡す限り一点の雲もない快晴だ。
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