日本人が「上司に弁当頼まれたら平気で買う」なぜ 日本と欧米における「権力」の決定的な違い
だが、教授には情緒的な権力はないのだろうか?それを知るために、私は学生にある仮説を立てて質問している。
「教授である私がコンビニで弁当を買ってこいと言ったら、あなたはどう答えるか?」
もちろん、これまで学生に弁当を買って来いと頼んだことはないが、それでも彼らに正直に答えてくれることを望んだ。その答えの中に、文化の違いがよく表れていた。
スウェーデンからの留学生:それは学生としての義務ではないと思うし、正直言って、この質問はかなり不適切だと思う。私は、教授が権限を超えない依頼をしていただければと思います、大学の事務局に文句を言うのは嫌なので。
アメリカからの留学生:そうですね、日本では学生が教授にお弁当を買ってくる習慣があるのなら、私は買いに行ってもいいですが、アメリカでは絶対にやりません。
フランスからの留学生:自分の弁当も先生持ちで買えるなら、買って来てあげてもいいんですけどね。問題ありません、それなら。
中国からの留学生:そうですね……私は教授のクラスにしばらく在籍して、いい関係も築いており、教授が好きですし、お弁当を買ってきてあげてもいいと思います。
そして最後に、
日本人の学生:もちろん、教授のお弁当買ってきますよ。コーヒーもいかがですか?
どの回答も自然に出てきた
このようなまったく異なる回答は、私の学生たちを大いに楽しませてくれる。答えがいかに違うかを面白いと思うだけでなく、こうした回答が非常に素早く、自然に出てくることが興味深げだった。
彼らはまた、権力形態の受け入れ方は、国の文化によって大きく異なることも学習する。欧米の教室では地位の権力が重要であるが、アジアの教室では情緒的な権力も重要な役割を果たしているのだ。
後編では、こうした権力形態の違いがいかにリーダーシップに影響を与えるかについて、実際にヨーロッパ人である著者が、日本に来て経験したことを交えて紹介したい。
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