故人のデジタル再現はタブーか、それとも救いか 令和時代に「デジタル故人」がいるべき場所は

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日本国内でいえば、戦後に都市への人口集中が起こり、地域社会の衰退と核家族化が急速に進んでいる。その結果、葬儀は地縁のものから家族(血縁)のものに変わった。ご近所さんが集って弔ってくれた時代は終わり、喪家や葬儀社が取り仕切るようになり、参列者もバブル時代をピークから下降線を辿っている。

日本の総人口と世帯人員数の推移

そもそも家族の人数も減っており、葬儀に参加すること自体も少なくなっている。また、先祖代々のお墓も、盆や正月に帰省したときに立ち寄るような遠方の存在となっている人は少なくないはずだ。

都市への人口集中は世界中で起きている。ユーロモニターの推測によると、2018年から2030年にかけて単身世帯は世界中で3割程度増えるという。つまるところ、現代社会は近しい人との死別と向き合う機会や場をじわじわと遠ざける変化を続けているわけだ。

伝統的な向き合い方だけでは無理が生じている。しかし、いまの時代にフィットした方法というのは確立されていない。そんな不安定な空気がじわじわと世界を覆っている。

死を考える展覧会、来場者の6割が10代と20代

不安定な空気は、死後のことを血縁や地縁に任せるのではなく、自分でプロデュースするモラルを育てた。1990年代から現在にかけて、欧米で天然の森林に埋葬したり火葬せずに遺体を土壌化したりする施設が注目されるようになったのも無関係ではない。日本で2010年代に「終活」という言葉が流行したのも通底するところが多分にある。

ただ、エコな葬送にしろ終活にしろ、死別の感情を包み込むことはできない。偲びたりなさや悲しみにくさとどう向き合えばいいのか。そこを知ろうとするニーズは近年高まっているように思う。

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