維新志士を多く育成「吉田松陰」現代にも響く名言 高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などが薫陶を受けた
「天がまさに大任をこの人に降そうとするとき、必ずまず、その人の心を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体を飢えしめ、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのである」
松陰の師匠である佐久間象山は松陰の密航事件に連座して、弟子の隣の獄に投じられていましたが、獄中で『孟子』を日夜、暗誦し、自身の見解を書き込んでいたそうです。そこには、
「まだ磨かれていない荒玉も、磨かれて名玉となる。鋼鉄も鍛えられて名剣となる。玉が磨かれたり、刀が焼きを入れられたりすることは、とても苦しいものだ。自らも10年来、海防の問題に苦労したが、ついに投獄されてしまった。しかし、これは天が大任を自らに下そうとして、さまざまな試練を課しているのだ。よって、いよいよ、ますます奮励努力して、天の意志に報いなければならない」
とあったとのこと。松陰は師匠の書き込みを写し取り、自らを励ましていたのです。象山や松陰は、ふりかかる困難は、天が与えた試練だというのです。将来、大仕事を成し遂げるためには、これくらいの困難でへこたれてはならない。だから、天が今、自分に試練を与えているのだと。
才気が衰退して俗物になる者も多いが…
しかし、困難が人をダメにすることも往々にしてあります。松陰が友人から貸してもらった書物の中にも、
「天が優れた才能を下すということは多いが、困難に耐えることによって才能を磨き上げ、立派に完成するということは、とても難しい。小さいころは頼もしく、才気あふれる人も、困苦を経るに従い、才気が衰退して、俗物となる者が多い」
と書いてあったといいます。確かにそうしたこともあるでしょう。では、そうならないためには、どうすればいいのでしょうか。
その書物には、松陰も納得する次のような文章がありました。
「ただ、真に志の堅い人物は、そういう困難に出合えばますます激しく奮い立って、最後には才能を成就させる。だから、霜や雪により桃や李(すもも)はしぼむということがわかり、松の充実した姿がわかるのである。同じように、艱難困苦を経て、初めて、才能が廃れやすいことがわかり、志士はいよいよ発奮することがわかる」
松陰はこの文章を読んで「どうして、桃や李の仲間入りをして、松に笑われていられようか。何としても、努力を重ねて、名玉・名剣にならねばならない」(『講孟余話』)と決意を書き記しています。
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