維新志士を多く育成「吉田松陰」現代にも響く名言 高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などが薫陶を受けた
波瀾万丈だった吉田松陰の人生
長州藩出身の武士・吉田松陰(1830~1859)の生涯は、30年にも満たない短いものでしたが、ペリーの黒船に乗り込み「海外密航」を企図したり、松下村塾において、数多の有為な人物(高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など)を養成したりと、その生涯は波瀾万丈、多難なものでした。何度も投獄されています。
普通の人ならば、自暴自棄になってしまうような状況ですが、松陰は違いました。やけを起こすどころか、いよいよ、意気軒昂としていたのです。彼は、困難に遭遇しても、なぜそれを跳ね返すことができたのか。松陰の精神状況からその秘密を探ってみたいと思います。
松陰は多くの著作を残していますが、それらの中でも「質量とも第一の書物」と呼ばれる本があります。『講孟余話』。中国・戦国時代の思想家・孟子の問答集『孟子』を読み、感想や意見などをまとめたものです。
しかし、単なる『孟子』の感想文ではなく、松陰の人生観や時勢に関する見解なども記されており、松陰の思想をうかがうことができます。海外密航企図の罪で捕縛され、江戸の獄に投じられた松陰。その松陰を励ましたのが『孟子』の一文でした。
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