維新志士を多く育成「吉田松陰」現代にも響く名言 高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などが薫陶を受けた

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高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像
左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞(写真:すなすな3rd/PIXTA)
長州藩の武士で、思想家・教育者でもあった吉田松陰は1859年10月27日(旧暦)に処刑されました。吉田松陰は「松下村塾」で若手藩士の育成に努め、門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋ら多くの維新志士がいます。吉田松陰とはどんな人物だったのでしょうか。歴史学者の濱田浩一郎さんが解説します。

波瀾万丈だった吉田松陰の人生

長州藩出身の武士・吉田松陰(1830~1859)の生涯は、30年にも満たない短いものでしたが、ペリーの黒船に乗り込み「海外密航」を企図したり、松下村塾において、数多の有為な人物(高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など)を養成したりと、その生涯は波瀾万丈、多難なものでした。何度も投獄されています。

普通の人ならば、自暴自棄になってしまうような状況ですが、松陰は違いました。やけを起こすどころか、いよいよ、意気軒昂としていたのです。彼は、困難に遭遇しても、なぜそれを跳ね返すことができたのか。松陰の精神状況からその秘密を探ってみたいと思います。

松陰は多くの著作を残していますが、それらの中でも「質量とも第一の書物」と呼ばれる本があります。『講孟余話』。中国・戦国時代の思想家・孟子の問答集『孟子』を読み、感想や意見などをまとめたものです。

しかし、単なる『孟子』の感想文ではなく、松陰の人生観や時勢に関する見解なども記されており、松陰の思想をうかがうことができます。海外密航企図の罪で捕縛され、江戸の獄に投じられた松陰。その松陰を励ましたのが『孟子』の一文でした。

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