戦争捕虜になった夫を捜す25歳アンナが語ること 「ウクライナ戦争の記録映画」が映し出す現実

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午後、メイン会場のSALA GRANDEで「フリーダム・オン・ファイヤー」が初公開された。ロシア軍の無差別攻撃を受け、逃げまどうウクライナの住民たちがスクリーンいっぱいに映し出される。

観客を戦場に誘うのは、ミサイルが着弾した瞬間の強烈な爆音だ。避難する住民の目の前で、インタビュー中の兵士の背後で、それは容赦なく響き渡る。

映画の中盤、アゾフスターリ製鉄所で避難生活をしていたときのアンナが登場した。体重が10キロも減り、やつれた表情だ。アンナはウクライナ政府が提唱した人道回廊を利用して何度も脱出を試みたが、ロシア軍が約束を反故したことで阻まれていた。

志願兵となった夫キリルが負傷したのは、4月の3週目だった。暗い地下室で麻酔もなしに手術を受けるキリルの映像は、うめき声とともに観る者の胃をしめつける。

夫・キリルは行方不明のまま

映画「FREEDOM ON FIRE」上映後のスタンディングオベーション。右から出演者のアンナ・ザイツェバ、ナターリャ記者、監督のエフゲニー。9月7日 ベネチア(写真:筆者撮影)

エンドロールに拍手が重なる。監督のエフゲニーは涙をこらえきれず、出演者のウクライナ人記者、そしてアンナと抱き合う。

初出演した映画を見終わって、アンナが感想を語った。

「この映画を見るのは初めてだったのですが、最後はアゾフスターリにいる自分に戻ったようで涙が出ました。上映後、多くの人が話しかけてきて、私を応援してくれました。どんな言葉だったか覚えていないくらい」

「私は映画の中で、いまだ捕虜になっているウクライナ人について訴えました。夫のことだけでなくすべての軍人、市民、医師についてもです。日本でアゾフ連隊は長い間、テロ組織であるかのように懸念されていたとも聞きましたが、今はそうではなくなったようです。だから、この映画をいろいろな国で広めて、全世界にとっての危機について伝えていきたいです」

7月29日、ドネツク州のロシア軍支配地域にある刑務所が砲撃を受けた。刑務所にはウクライナ軍の捕虜が収容されていて、53人が死亡した。ウクライナ兵の証言で当時、現場にキリルがいて、危うく難を逃れていたことがわかった。その後、キリルは行方不明のままだ。

ウクライナ兵の捕虜について、赤十字国際委員会は近くロシア側と協議する意向を示しているが、実現の可能性は未知数だ。2014年から続くロシアとの紛争で、いまだ解放されていない捕虜もいるという。戦争の行方と密接に関わる捕虜の問題を見過ごすわけにはいかない。

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尾崎 孝史 映像制作者、写真家

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おざき たかし / Takashi Ozaki

NHKでドキュメンタリー番組の映像制作に携わる。映画『未和 NHK記者の死が問いかけるもの』(Canal+)を監督。

著書に『汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11』(かもがわ出版)。『未和 NHK記者はなぜ過労死したのか』(岩波書店)。写真集『SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語』(Canal+)で日隅一雄賞奨励賞、JRP年度賞。

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