知られざる日本の暗部「子の死因検証」が進まぬ訳 なくならない保育事故、遺族が「CDR」に望むこと
意識戻らぬまま、39日後に死亡
えみさんの長男・寛也君が事故に遭ったのは、2010年10月29日午後3時半ごろだった。碧南市の認可保育園で、おやつの時間にベビーカステラをのどに詰まらせて窒息、救急車で病院に運ばれた。
えみさんが病院に駆けつけると、寛也君は集中治療室でいくつもの点滴チューブにつながれていた。
「人工呼吸器も付けられて、目も半開きでうつろな顔をしていました。聞こえているのかなと思いながら『お母さん来たよ』って言って。『かえるの合唱』が好きだったので、歌ってあげました」
医師から見せられた脳のCT画像は、生命維持に関わる中央部分を残し、真っ白になっている。「もう意識は戻らない」。そう覚悟を決めた、えみさんと夫の秀行さん(43)は、残された時間を充実させようと、眠ったままのわが子と病院で共に過ごした。
寛也君は、何度か危篤状態に陥りながら小康状態を保っていたが、事故から39日後の12月7日、母に抱っこされながら息を引き取った。1歳5カ月だった。


















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