知られざる日本の暗部「子の死因検証」が進まぬ訳 なくならない保育事故、遺族が「CDR」に望むこと
厚生労働省はCDRの和訳を「予防のための子どもの死亡検証」と名付けている。前述したように、成否のポイントは、教育や福祉、医療、警察といった行政が本当に縦割りを打破して協力できるかどうかにある。その焦点は、事故に関する情報の収集だ。
えみさんはこれまで、政府の有識者会議など子どもの死亡検証に関わる組織に参加してきた。その際、いつも問題になったのは、警察の協力が得られず、事故の基本的な情報さえ、なかなか得られないことだった。
「検証委員会が速やかに立ち上がっても、警察が(捜査のために)資料を全部持っていって、検証するための材料が(委員会側に)ないこともある。資料がなくて検証ができないと困っている自治体職員もいました」
事故現場で最初に情報・証拠を集めるのは、警察の役割だ。捜査以外の目的でそうしたものを外部機関に渡すことは、刑事訴訟法の規定もあって相当ハードルが高い。ただ、警察の情報がなくても、医療機関から情報を得て、事故原因の検証が進んだことはある。
CDRを導入しても個別事故を検証する制度は残すべき
えみさんは、さらにこう言った。
「CDRがあれば、(教育や福祉、医療などの)個別分野ごとの検証はやらなくていいという意見も出ていますが、そうじゃないと思います」
CDRの本格運用が始まったとしても、例えば、寛也君の事故では愛知県と碧南市の検証委員会が立ち上がったように、個別の事故をきちんと検証する制度は残すべきだとの指摘だ。CDRの検証委員会には、いわゆる“大御所”的な専門家が集まり、より現場に近い人の目が反映されにくくなるかもしれないからだ。
「CDRで議論されたものを保育の検証にも生かして、議論を深めていけたら」
子どもの命を何としても守るという一点で、関係者が本当に真剣に集えるのか。えみさんは期待を込めて、CDRの行方を注視している。
取材:林 和(はやし・なごみ)=フロントラインプレス(Frontline Press)所属
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