元朝日記者語る「メディアが外部批判恐れる」実情 「朝日新聞政治部」著者、鮫島浩氏が斬る!

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私は朝日新聞の中にも詳しいし、「SAMEJIMA TIMES」やYouTube、ツイッターといった発信手段を持っているから、私に情報提供すればそれが表に出て状況が改善されるかもしれない、と情報提供者は考えるわけです。

文春砲が強いのはやっぱり確実に発信してくれるから。タレコミが来たら、それを忖度せずに記事にしていく繰り返しによって、さらに情報が集まってくる。朝日の特別報道部もそうしたかったし、一時は実際にそうなっていた。朝日新聞特別報道部っていういわゆるブランドが情報を引き寄せていた。相手からすると、文春砲のように「ここににらまれたら怖い存在」になれば勝ちなんですよね。

ところが、朝日新聞は自らそれを壊しちゃった。すごいお金も時間もかけて、やっとブランドを作って、情報を引き寄せる器をつくったのに。そういうのはやっぱり愚かとしか言いようがない。

会社の看板に依存した「サラリーマン記者」だった

――鮫島さん自身、朝日新聞という組織に長く身を置きながら、個人の発信力をどう磨いていったのですか?

正直、かなり苦労しましたよ(笑)。

2014年の「吉田調書」事件のとき、社内調査でいくら自分の主張を述べてもまったく取り合ってもらえず、頭にきて「自ら記者会見をやってやろう!」と思い立ちました。

日程はいつで、ここの会場を借りて……という具体的なプランまで考えていたのですが、当時は「捏造記者」などといった私へのバッシングも強烈で、自宅にも取材陣が殺到していました。「こんな状況では、自分の話をまともに聞いてくれる人などいない」と、記者会見は断念しました。

その時、私はツイッターのアカウントすら持っていませんでした。自分がいくら「真実はこうだ」と主張したくても、届ける手段が何もない。いかに自分は会社の看板に依存した「サラリーマン記者」だったのか――と自分の力不足に愕然としたんです。

このことをきっかけに「個人の発信力を身につけなければ何もできない」と自戒し、ツイッターアカウントを開設するところから始めました。1カ月経ってもフォロワーが30人程度で、見向きもされませんでしたが、どういう発信をすればフォロワーが増えるのか1から研究しましたね。今は7万人を超え、YouTubeも含めて多くの読者に支えられていますが、6年かかりました。

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