脱北してYouTuberになった彼が得た"本当の自由" 草が入ったとうもろこしご飯を食べていた10代

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継母と父の縁で結ばれた関係で、性格も、趣味も、これまでの生き方も違うし、人として合うところはあまり多くない。だが、お互いに自分の心の空いたスペースを少し埋めてくれている存在という気がする。

僕は北朝鮮出身で、義兄は中国出身ということもあるし、「そんな兄弟でけんかしない?」と聞かれたこともある。だが、互いに違うところも理解しているので争うことはない。今では家族であって、友達のような、ありきたりの言葉では言い表せない特別な絆を感じている。

YouTubeのコメントで「家族ってなんだろう?」と質問されたこともあったが、血のつながりや民族の同一性がなくても、互いのことを理解できれば、世界中の誰とでも親密になれると思う。

脱北YouTuberの家族像

これから僕が家庭をもつなら、バラバラに暮らしていても年に1、2回は集まって、楽しい思い出を作れるような関係性が理想だ。欧米ではクリスマスにみんな集まって年末を一緒に過ごすのが定番だが、僕もそういう、家族を大事にする行事が好きだ。

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何より父に、今からでも楽しい思い出を作ってあげたい。脱北するのにたくさんのお金を使い、中国と韓国を行き来し、僕が自由な世界に脱出する基盤を作ってくれた。自分だったら、子どものためにそこまでできるだろうか。

今は僕が自分らしく生きるのが最優先ではあるけれども、年に1回でも父と一緒に旅行したりして、息子としての責任を果たしたい。

実は以前、僕はアメリカへの移住を考えていたことがあった。しかし、父にとって血のつながった家族は僕1人しかいない。韓国に住む父とは今でも年に2回会えればいいほうなのに、移住したら年に1回も会えなくなるに違いないと考えると、できなかった。日韓ならば飛行機で2時間あれば行ける距離なので、結局、日本にとどまることにした。

何かの力で僕は日本に引っ張られているのかもしれない。

キム・ヨセフ 脱北YouTuber

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きむ・よせふ

1985年、朝鮮民主主義人民共和国の北東部・咸鏡南道に生まれる。10歳のときに母、姉3人と死別、父と離別。小学校をやめ、弟と路上生活を始める。11歳で弟と生き別れ、祖父母の家に身を寄せる。18歳で一度目の脱北を試みるも失敗し、白頭山のふもとにある留置所に送られる。23歳で二度目の脱北を試み、豆満江を越え中国へ。ベトナム、カンボジアを経て24歳で韓国へ入国。28歳で日本に語学留学し、大学を卒業したのちに会社員の仕事のかたわら、YouTubeチャンネル『脱北者が語る北朝鮮』を開設。北朝鮮に関する動画を発信し続けている。

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