脱北してYouTuberになった彼が得た"本当の自由" 草が入ったとうもろこしご飯を食べていた10代
北朝鮮ではずっと長男として育ってきた僕にはじめてできた兄は、日本に住んでいるため、今でも頻繁に会う機会がある。僕の動画にもちょくちょく登場するので、見たことがある人も多いかもしれない。義兄も父に礼儀正しく接してくれるので、とても感謝している。
日本語学校を一緒に探してくれた義兄
義兄とは中国ではじめて対面した。いい印象を受けたが、当時はあまりにも僕が恥ずかしがりやだったこともあって、なかなか話しかけることができなかった。
言語の問題もあった。継母とは韓国語が通じて同じ民族のような感覚をおぼえたが、義兄は朝鮮族とはいえ漢民族の文化で育ち、言語も考え方も異なっていた。
2回目は韓国で再会した。当時、僕は少し中国語を勉強していたので、中国語と英語を交えて会話をした。3回目は、義兄が結婚し住処を構えた群馬県を観光で訪ねたときだ。その後、僕が日本に留学に来たときには、義兄は群馬から上京し、日本語学校を一緒に探してくれたりもした。義兄は日本語をしゃべれるが僕が日本語を話せなかったので、身振り手振りでコミュニケーションをとっていたのがなつかしい。
僕が日本語を学んでからは、気楽にしゃべれるような間柄になった。東京にいたとき、僕はアルバイトで忙しいし、義兄も仕事が忙しく連休に会う程度だったが、2人とも大阪に来てからは会う機会が増え、関係が深まった。日本に来て、日本語で語り合える兄弟ができたというのは、なんとも数奇な運命だ。
今では週末に一緒に遊びに行ったり、外食をしたり、義兄の家で食事したりもする。昨年の年末には義兄の妻子と一緒にスキー旅行にも行った。これまで僕には気が合う人が少なく、身寄りがないこともあり、人と親しくなれるようなきっかけに乏しかったが、そんなところが義兄と共通していた。
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