「自分たちは犠牲者」の声が忘れている危険な思想 韓国だけではない!なぜ悲劇の記憶を争うのか
林:21世紀は「記憶のグローバル化」時代だ。第2次大戦後に多くの避難民が国境を越えて移住した時、彼らは「記憶」を一緒に持ち込んだ。見知らぬ地で移民の記憶同士が思いがけず出会い、絡み合ったことが「記憶のグローバル化」へ向けた第一歩だった。
東西両陣営のイデオロギーが集合的記憶を縛る冷戦体制の閉幕によって、記憶のグローバル化はさらに加速した。ホロコーストと植民地主義ジェノサイド、旧ソ連の全体主義、アメリカの奴隷制、日本軍慰安婦などの記憶がグローバルに絡み合うことになった。
現実には無関係に起きたのに、「記憶」によって事後的に関係性が作られた。絡み合い、関係性を作っているのは、歴史や文化ではなく、記憶だ。
旧ユーゴ内戦の集団レイプと慰安婦
澤田:「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(旧挺対協)」のリーダーだった尹美香(ユン・ミヒャン)氏を2013年にインタビューしました。その時に尹氏は、「当初は国際社会に訴えてもあまり反応がなかった。それが2000年ごろから変わった」と言っていました。
林:冷戦終結後に進んだグローバル化の結果だ。戦時の性被害は昔からあったことで、人々の受け止めは「戦争の時にはそうしたこともある」という程度だった。韓国で1991年に元慰安婦が初めて実名で証言した時にも、国際的に注目されることはなかった。
状況を大きく変えたのは、1990年代の旧ユーゴ内戦だった。セルビア人ナショナリストによるボスニアのイスラム系女性に対する集団レイプが、アメリカのCNNなどによって世界中の家庭に届けられた。国境を越えるテレビ・ジャーナリズムもこの時代に発展したものだ。
同時代の出来事として映像を突き付けられ、人々は大きな衝撃を受けた。人権意識の高まりを背景に多くの人が自分たちの身に起きたことのように憤り、戦時の性暴力は人道的犯罪だという意識が強くなった。それが、慰安婦問題の国際化に大きな影響を与えた。
澤田:日韓のナショナリズムの衝突は激しくなる一方です。
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