「自分たちは犠牲者」の声が忘れている危険な思想 韓国だけではない!なぜ悲劇の記憶を争うのか

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犠牲者意識ナショナリズムとは何か?

澤田:「犠牲者意識ナショナリズム」とは何ですか。

:先祖が犠牲となった歴史的記憶を世襲して自分たちを悲劇の犠牲者だとみなし、現在のナショナリズムを道徳的、政治的に正当化するものだ。

民族というのは長い歴史の中で自然に形成されてきたものだという考えは、民族主義が作った幻想でしかない。民族の固有性に対する民族主義的な想像は、他民族との比較が前提となる。犠牲者意識ナショナリズムもまた、国境の向こう側に加害者民族を必要とする。そこには「負の共生」関係が生じる。

澤田:民族の歴史に対する「記憶」がキーワードですね。

:過去をどのように記憶するかによって、未来に向けた実践が変わる。しかも記憶には人の心を動かす情動的な性格があり、どんな理論や言説よりも強い力を持っている。

慰安婦問題などを巡る東アジアでの「記憶の戦争」、東欧でのスターリン主義の犯罪とホロコースト論争、ドイツ・イスラエル・アフリカをつなぐ植民地主義に基づくジェノサイドと反ユダヤ主義論争が、冷戦終結後の世界で同時多発的に起きていることは記憶の破壊力を見せつけるものだ。

澤田:なぜ「犠牲者」としての記憶が強調されるのでしょうか。

:グローバル化が進んだ世界では、自分たちのナショナリズムの正当性を外国に理解してもらわなければならない。自国の正当性を外国人にも理解させるには、犠牲者を持ち出すほうがいい。ポスト冷戦の時代は人権に対する国際社会の規範意識も強くなった。そこで注目してもらうにも、自分たちが被った試練をアピールするほうが効果的なのだ。

澤田:冷戦終結後に各地で噴き出した歴史認識紛争に相互の関係性を見出していますね。

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