数学者オイラーが視力を失っても平気だった理由 とんでもない記憶力と計算力を持つ孤高の天才
史上最強の孤高の数学者
牧師の子として、スイスのバーゼルで生まれた。天文学者・数学者。1720年にバーゼル大学に入学したとき、教授だった数学者・科学者のヨハン・ベルヌーイに見いだされる。ヨハンの息子ダニエルとは大の仲良し。オイラーよりも70年後に生まれたガウス(1777〜1855)とともに、「数学界の2大巨人」と呼ばれる。史上最多の論文を生み出し、息を吸うようになんでもなく高度な計算を操ったという。
オイラーには最初の夫人との間に13人の子どもが生まれたが、残念ながら成人できたのは6人だけだった。オイラーは子どもを膝の上に乗せてあやしながら高度な計算をし、数百編の論文を書きあげていたという。
途中でオイラーは目を悪くして片目の視力を失い、最後は両目とも見えなくなった。そのとき、オイラーが口述し、子どもたちがそれを筆記して論文に仕上げていた。
オイラーは多数の数学記号や図をつくった。それが現在の教科書などでも以下のように使われている。
・円周率3.14でπの記号を使った
・ネイピア数(オイラー数ともいう)に記号eを使った。オイラー(Euler)のeの略といわれる
・関数でf (x)の記号を使った(関数fはライプニッツ)
・sin(x) やcos(x) の三角関数の記号
・総和(すべてを足す)を意味するΣ(シグマ)記号
・オイラー図(ベン図)
無料会員登録はこちら
ログインはこちら