長髪を頭の後ろで結び、ラフなカジュアルウェアにジュエリーを身に着けた岡崎さんは、伝統と格式のある会社の社長には見えない。ミュージシャンのようだと思って聞いてみたら、「今もロックバンドを組んで活動していて、ボーカルとギターを担当しています」というではないか。
型破りな経営トップだが、話を聞いていくと、原理原則を踏まえながら、未来に向けてさまざまな挑戦をしているとわかる。「バブル化してしまった会社をどうするかというところから、僕の社長としての仕事はスタートしたのです」と赤裸々な話が始まった。
1950年、岡崎さんの祖母に当たる坂野惇子氏をはじめとする4人の女性が立ち上げたのがファミリアだ。「子どものためにより良いものを」「お母さんに愛されるベビー用品のパイオニアになる」という志を抱き、“家族のあたたかさ”を表現しようと「ファミリア」という社名にした。女性が立ち上げたベンチャー企業であり、時代に先駆けた存在でもあったのだ。
日本の高度経済成長とアパレル業界の成長は軌を一にしている。そしてファミリアも例外ではない。全国にわたる百貨店に売り場を構えて拡大成長を遂げていったのだ。
バブル崩壊後に売り上げが落ち、在庫も膨らんだ
だが、1990年代に入ると百貨店の売り上げが低迷し始め、業績に陰りが見えてきた。
「バブルがはじけて売り上げが落ち、在庫が増えて業績は悪化。当時のファミリアは社員の数も売り場も、まさにバブルと言っていい状況でした」
岡崎さんは、子どものときから、創業者である祖母に連れられ、会社によく遊びに行っていた。もの作りしている現場を見聞きし、「大きくなったらファミリアに入りたい」と思っていたが、祖母から「お前だけは会社に入れないよ」と言われていたそう。だから、「絶対にファッション以外の仕事に就こうと思っていました(笑)。クリエイティブなもの作りを目の当たりにして育った影響もあったのか、クリエイターになりたいと考えていたのです」。
大学を卒業した後、カリフォルニアの美術大学でデザインを学び、グラフィックデザイナーの八木保氏の事務所で、デザイナーを務めていた。が、父から「家業のデザインを手伝ってほしい」と請われて2003年にファミリアのデザイン課長になり、アメリカと日本を行ったり来たりしながら仕事をしていたのだ。
「中に入って実状を見聞きし、ダメになった理由が徐々にわかってきたのです」
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