インド人ジャーナリストがみた日本食と職人精神 世界の日本好きから読まれたインド人の日本論
日本で食が畏敬されるのは、それ相応の理由がある。和食ができる背景には、禅的な精緻さ、専心、マインドフルネスがあるのだ。そこで強調されるのは、米をとぐにしても魚のはらわたを抜くにしても、一つの技を繰り返し繰り返し、主体と客体の境界が消え去るまで行っていくことだ。
「イキガイ」や「カイゼン」と並び、世界のカリスマ企業家が愛する日本語の単語として「ショクニン」がある。パリッとしたスーツに身を包み、口先が達者な人間が薄っぺらなセールストークをするのは強いいら立ちを与えることになりかねない。なぜなら、それは本来意味するところから切り離されたところで話が独り歩きしていることになるからだ。しかし日本で外食に行くと、「職人」という言葉は、文字どおりの意味であることがよくわかる。一つの品の質を高めることを通じて、完璧さをとことん追求するのだ。10年修行してようやく刺身を任されるすし職人の見習いや、ひたすら酵母のことだけに取り組む日本酒の蔵人がそれだ。
極みへの到達をあきらめない職人
「神奈川沖浪浦」をはじめとする名高い作品で知られる浮世絵の巨匠、葛飾北斎は死の床に就いたとき――90歳近くになっていた――、こう言ったとされる。「天が自分をあと10年、せめて5年だけでも生かしてくれれば、わたしは真の画家になれるのだが」
このことを思い出したのは、すし職人の小野二郎を取り上げたデヴィッド・ゲルブ監督による2011年公開のドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』を観たときのことだ。彼は数十年にわたり、タコに包丁を入れる前に30分揉み込むことにしていたが、あるときひらめきが訪れた――さらに10分揉み込むことで、おいしさが増すということに。そこで、86歳(撮影当時)の二郎はタコを40分揉み込むようになった。ここで言いたいのは、職人はとにかく謙虚で、極みに到達することはそう簡単に実現できるものではないことを理解しつつも、それに向けた追求をあきらめないということだ。職を極めるには一度の人生では短すぎるかもしれないが、それでもなお職人は挑戦し続け、その試みの中に人生の意味を見出すのである。
思うに、これはマルチタスキングというこの時代を象徴するかのような苦痛へのアンチテーゼというだけでなく、インド人の特質をもっともよく表すもの――「ジュガール」と呼ばれる――の対極に位置するものでもある。ジュガールとは即興の対応のことで、なんとかやりくりしてその場をしのごうとする問題解決法だ。通勤電車の車内での通話と同じくらい非日本人的と言える。
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