インド人ジャーナリストがみた日本食と職人精神 世界の日本好きから読まれたインド人の日本論

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それからの30分間、彼らは無言で清掃作業に取り組んだ。寺院の墓地、外廊下、庭園が隅々まで念入りに掃き清められた。落ち葉はまとめて袋に入れられた。先述したおしゃれな女性は30分間ずっと、床のタイルに残っていそうな汚れを見逃すまいとしゃがんで雑巾がけをしていた。わたしは片手にノート、片手に箒を手にしてこの一団の様子を見つめていたのだが、メモが取れたわけでも清掃作業を手伝えたわけでもなかった。結局、サラリーマンの一人がこちらの様子を見かねて、この上ない礼儀正しさでわたしを箒から解放してくれた。

わたしは箒を持って誰かにいたずらでもしようとしていたのだろうか? わたしはジャーナリストとしてそこそこやっていけているが、清掃人としては役に立たない。そんなわたしなので、どうか非難しないでほしい。わたしが育ったのはデリーの部市部で、家は中流だった。大半のインド人にはこれ以上の説明は不要だと思うが、それ以外の読者のためにどういうことか示しておこう。

細分化とヒエラルキー

わたしの実家は経済的に取り立てて豊かというわけではなかった。母は五つ星ホテルで営業部門の役員をしており、1人でわたしを育ててくれた。そうした環境でも、肉体労働をすることはいっさいなく大人になっていった。わたしは勉強や読書をするだけでよく、家の掃除はメイドが、皿洗いはコックがやってくれた。近所のアイロンがけ屋(地元の公園の近くで屋台を構え、巨大な石炭アイロンを駆使する中年の女性だった)の若い息子には毎週1回家に来て、小間物を磨いてもらっていた。トイレは別の人が毎朝来て掃除をしてくれた。

こうした細分化とヒエラルキー、極度の分業体制はいずれもインドにおけるカースト制度の悪しき産物だ。床婦除のメイドはトイレについては担当しない。そのためトイレ清掃カーストの女性の出番となるのだが、彼女のカーストがおおっぴらに話題にされることはない。事実、わたしも自分が成長していくなかで彼女のカーストについて考えたことはなかった。というよりも、自身も含め誰のカーストについても思いをいたすことがなかった。実質的にカーストを意識する必要がなかったという点で、それだけわたしは恵まれた立場にあったのだ。

インドのカースト制度は何事にも及ぶ影響――あからさまなものとそうでないものの両面がある――をもたらしたが、それが最終的に行き着いたのは、清潔さをめぐるきわめて奇妙な関係だった。インド人は儀礼上の純潔性と個人の衛生に強くこだわる一方で、公共空間での清潔さに対する責任感となると、衝撃的なほどに欠けているのだ。自宅から相応の距離があるところであれば、道路脇で小便をしても許されてしまうのだから。

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